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97番の歌人は『小倉百人一首』の選者、藤原定家です。
 
彼は、割とけんかっ早くて、歌にかけては妥協を許さない、熱い人だったのだそうです。
後鳥羽上皇と、歌の選び方でもめにもめて、謹慎処分にもなったこともあります。
次の年に、後鳥羽上皇が「承久の乱」で隠岐に流されてしまったため、助かったのですけど・・・。
 
藤原定家は、鎌倉時代初期の歌人ですよ。
「源平の合戦」が起こったのが、ちょうど18歳のときでした。
 
でも、定家の日記『明月記』では、そんな一大歴史的事件も、全く関知せずという感じで、スルーしています。
「世間では反乱者(平家のこと)を追討せよと騒いでいるが、そんな事は俺はどうだっていい。紅旗(朝廷の旗)を掲げて戦争しようが、俺の知ったこっちゃないね。」とかなんとか書いていますよ。
 
彼にしてみれば、そんなことより歌を極めることのほうが、ずーっと価値があったのです。
 
藤原定家は、後半生にか以前から興味があった『源氏物語』や『土佐日記』などの研究をしています。
 
『小倉百人一首』を選んだのは、なんと!75歳のときなんです。
すごい晩年の作品だったんですねー!

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97.権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)

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権中納言定家は藤原定家のことです。1162~1241年。
彼は、藤原俊成(83番)の息子で、権中納言という位に出世しました。
『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の選者です。
 
この和歌は、万葉集の中の長唄を「本歌取り」した歌です。
来ない人を待ち、海辺にたたずむ乙女の姿を詠んでいます。
 
「恋」がお題の題詠みの歌です。

 
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

 

【覚え方】来ぬ人焼く

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いつまでも来ないあの人を待っている私は、松帆の浦で夕なぎのときに焼く藻塩のように、じりじりと恋心に身を焦がし続けているのです。

 

松帆の浦の「松」と「待つ」が掛詞になっています。
「藻塩」は海藻から採る塩のことなのです。
そして、「焼く」と「藻塩」は、「こがれ」との縁語です。
「まつほい裏の夕なぎに焼くや藻塩の」は「こがれ」を導き出す序詞です。
 
あああ、いろんなテクニックを使ってますね。
 
シンプルに乙女の初々しさを表現しているように見えて、
本歌取り・掛詞・縁語・序詞を用いた凝った歌です。

98.従二位家隆(じゅにいいえたか)

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従二位家隆は藤原家隆です。
 
彼は、従二位宮内卿まで出世しました。
京都の西、壬生(みぶ)のあたりに住んでいたので「壬生二位」とよばれたのでした。
 
寂蓮法師(87番)は義理の父で、藤原俊成(83番)は叔父で歌の師でもありました。
 
藤原定家(97番)とは従兄弟で友人という関係です。
また、『新古今和歌集』の選者の1人でもあります。
 
この歌は、後堀川天皇のもとに中宮が入内されるとき、屏風に合わせた歌をと依頼されて詠んだものです。
「夏越の祓」の屏風絵の下に書かれた歌です。

 
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける

 
【覚え方】風邪そよぐみそ

「楢の」木の葉が風にそよぐ上賀茂神社を流れる「ならの」小川の夕暮れは、もう秋のような風情がしているけれど、この「夏越しの祓」をしていることが、まだ夏である証拠なのだ。

 

「なら」は「ならの小川」と「ナラ(楢)の木」との掛詞です。
「なら」は上賀茂神社の御手洗川のことです。
 
「楢の木の葉に風がそよぐ」と「御手洗川に秋風が吹く」という意味を掛けています。
  
「禊」は、「ならの小川」で行われる「夏越の禊」のことを指します。
 
これは、人形(ひとがた)で身を清め、チガヤで編んだ大きな輪をくぐり半年間の穢れを払う、今も続く儀式なのですよ。

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

 

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