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平安末期から鎌倉時代初期の政情不安定な時期、京の都は「保元・平治の乱」で荒廃します。末法思想と相まって、人々の仏の救済を願う気持ちが高まった時期です。
 
慈円の歌からは、若くて優秀な僧侶の、やる気と使命感が感じられます。
 
藤原公経は貴族ですが源氏に近かったため、政変に巻き込まれます。
しかし、そのときの功績で、後に太政大臣となり栄華を手に入れることができました。
 
公経の京都・北山の別荘に建てた仏堂「西園寺」は、後の「鹿苑寺(金閣)」になります。

 

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95.前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

 
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前大僧正慈円は関白・藤原忠通(76番)の息子です。
兄が九条兼実で、甥は九条良経(91番)です。
 
13歳で出家し、37歳の時に天台宗の座主(比叡山延暦寺のトップ)となりました。
後鳥羽院(99番)の護持僧でもありました。
 
日本初の歴史論集「愚管抄」の作者です。
歌の師は西行法師(86番)でした。

 
この歌は、最澄(伝教大師)が詠んだ歌の一節をふまえたものです。
「我が立つ杣に冥加あらせ給へ」(最澄)

(私が立つ、この寺を建てるための材木を切り出す比叡山に、仏の加護がありますように)

 
おほけなく うき世の民に おほふかな
わが立つ杣(そま)に 墨染の袖

【覚え方】おほけな輪

たいへん身の程知らずなことですが、この憂き世の中に生きる人々を守るために覆いかけようと思います。比叡山に住み始めたばかりの私の墨染の僧衣(仏の祈り)を

 

「おほけなし」は「身分分相応で恐れ多い」という意味です。
慈円は家柄・権威・見識・文学の才能の全てを兼ね備えていたので、これは謙遜ですね。
 
「うき世」は「憂き世」で、「辛い世の中」を意味しています。
当時、「保元・平治の乱」で戦が続き、都の民が疲弊していました。
 
「おほふ」は「袖」と縁語です。
黒い僧衣の袖を人々にかける、つまり、仏の道を修行し、教えを広めて人々を救済することを意味します。
 
「杣」は材木を切り出すための山のことで「杣山(そまやま)」ともいいます。
この歌では比叡山を指します。
 
才能あふれた若い僧の使命感が、ひしひし伝わります。
比叡山の過酷な千日修行「千日入堂」を果たした慈円ならではの一首です。
 
ストイックな感じがしますが、慈円は、なかなか情熱的な恋の歌もたくさん詠んでいます。(*^^*)

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96.入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)

 

 

入道前太政大臣は藤原公経(きんつね)です。
西園寺公経ともよばれます。
 
後鳥羽院(99番)らが幕府転覆を企てた「承久の乱」のとき、事情を知ったので幽閉されましたが、なんとか鎌倉方に密告して乱を失敗に終わらせることができました。
貴族ですが、妻が源頼朝の姪だったので武士の争いに巻き込まれたのです。
 
そのときの功績で太政大臣になり、娘婿は関白に、孫娘は後堀川天皇の中宮になります。
大阪・吹田の別荘には有馬温泉から湯を運ばせ、京都・北山には田畑を切り開いて豪奢な別荘を造りました。
その場所「西園寺」が後の「鹿苑寺(金閣)」になります。
 
藤原定家(97番)は義理の兄にあたります。

 
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり

 
【覚え方】花さそうふり

桜を誘うようにして、嵐が花びらを散らして庭に雪のように降ってくる。いや「降る」のは雪ではなく、「古」くなって老いてゆくのは、私のこの身なのだ。

 
「花」は「桜」、「嵐」は「山風」を意味します。
擬人法を用いた表現ですね。
「花」を「雪」に見立てる歌は、当時よく詠まれました。
 
「ふりゆく」の桜の花びらが「降りゆく」と自分が「古りゆく(老いてゆく)」が掛詞です。
 
地位も名誉も財産も、全て手に入れた藤原公経ならではの感慨ですね。
老いだけはどうしようもないという、虚しさが伝わります。

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

 

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