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鎌倉右大臣こと源実朝は、鎌倉幕府の第3大将軍です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝と北条政子の息子です。
 
源頼朝の息子、2代将軍・頼家が暗殺された後、弟の実朝が3代将軍になります。
そして、1219年の正月、28歳のとき、甥の公暁(くぎょう)に鶴岡八幡宮で暗殺されました。
 
藤原雅経は、蹴鞠の祖である「飛鳥井家」の創立者です。
源実朝とは蹴鞠と歌を通して親交がありました。
 
「飛鳥井家」の跡地は、現在「白峯神宮」になっています。
「白峯神宮」は、崇徳院をご祭神としてお祀りしている神社でもあります。

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93.鎌倉右大臣=源実朝

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源実朝(さねとも)は鎌倉幕府第3代将軍です。
穏やかな人柄で繊細かつ壮大な歌を多く残しています。
 
藤原定家(97番)の歌の弟子でもありました。
鎌倉にいたため京の定家とは直接会えず、文のやりとり(通信教育)で指導してもらいました。
『金槐和歌集』は実朝の作品集です。

 
世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟(をぶね)の 綱手かなしも

 

【覚え方】世の中はあまい

世の中は、いつまでもずっと変わらずにいてほしい。波打ち際をこいでいう漁師の舟を、陸から網で引いている他愛のない光景までもが、なんと愛おしいことだろう。

 

「世の中」とは「自分が生きているこの世界」という意味です。
「渚(なぎさ)」は「波打ち際」のことです。
 
実朝の歌は、のびのびしたダイナミックな歌が多いです。
 
明治の俳人・正岡子規は、評論「歌よみに与ふる書」の中で、源実朝こそ柿本人麻呂以来の最高の歌人だと書いています。
確かに、万葉の歌のような雄大さを感じる歌が多いです。
子規好みではありますね。
 
ちなみに、正岡子規はこの「歌よみに与ふる書」で紀貫之や藤原定家を全否定しています。
「炎上商法ですか?」と聞きたくなるほど、言いたい放題です。
(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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94.参議雅経=藤原雅経

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参議雅経は藤原雅経(まさつね)。
藤原頼経(よりつね)の息子で、『新古今集』の撰者の一人です。
蹴鞠(けまり)の元祖である飛鳥井家(あすかいけ)の創始者です。
 
藤原定家(97番)後鳥羽院(99番)順徳院(100番)源実朝(93番)は、みな「蹴鞠仲間」でした。
今でいう、サッカー仲間のようなもの???
 
源実朝(93番)に藤原定家(97番)や鴨長明を紹介したのは、この藤原雅経です。
 
 
この歌は「本歌取り」の歌で、定家が絶賛しています。
「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり」
(坂上是則・「古今和歌集」)
 
また、この歌は、「擣衣(とうい)」というお題の題詠みの歌でした。

 
み吉野の 山の秋風 小夜更けて
ふるさと寒く 衣うつなり

 
【覚え方】み吉野のふるさと

吉野の山から冷たい秋風が吹いてくる。夜が静かに更けてゆくなか、かつて都であった古い里に、衣を砧(きぬた)で打つ寒々とした音が響いている。

 

「吉野」は、万葉の時代より桜の名所として名高い地です。
現在の奈良県吉野郡吉野町。
「み」は言葉の頭につける美称です。
 
「ふるさと」は「古里」、古代の都があった所という意味です。
吉野にはいにしえの離宮がありました。
 
いにしえの都の離宮があり栄えていた吉野の里が今は古びて、秋が深まっていっそう物寂しくなっている様子が伝わります。

 

 
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