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式子内親王(しょくしないしんのう)と殷富門院大輔(いんぶもんいんのたいふ)は、当代きっての女流歌人です。
 
式子内親王は、藤原俊成(83番)の弟子でした。
 
殷富門院大輔は、たくさんの歌を詠み「歌林苑」のメンバーとして活躍しました。歌をとおした交流関係の広い歌人です。
 
「源平の合戦」が行われている頃ですが、定家は全く気にせず、和歌中心の生き方を貫いていたようです。
      
大きな戦(いくさ)も、当事者たち以外にとっては、そんなものだったのでしょうね。(´・ω・)

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89.式子内親王(しょくしないしんのう)


 

式子内親王は、後白河院の第三皇女です。
6歳から16歳まで賀茂斉宮(かもさいぐう)を務めます。
病弱で出家した後、一生独身で過ごしました。
 
新古今集時代の 代表的な女流歌人で、藤原俊成(83番)の弟子でした。
俊成の息子・定家(97番)からも歌を学び、恋仲だったのではないかと思われいます。
 
この歌は、「忍ぶ恋」とお題が決められて詠んだ歌です。

 
玉の緒(を)よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする

 

【覚え方】玉の忍ちゃん

命と体をつなぐ紐よ。絶えるならいっそ絶えてしまって。もしこのまま生きていたら、隠しておく力が弱まって、この思いを打ち明けてしまいそうになるから。

 

「玉の緒」とは、もとは首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(ひも)のことです。「玉」は「魂」とつながり、魂を体につなぐ緒ということで、命の意味になります。「絶えなば絶えね」は、「もし絶えてしまうのならば、絶えてしまえ!」という意味になります。
 
「よわりもぞする」は、係助詞「も」と「ぞ」が重なって「~すると困る」という意味になります。
「ぞ」と「する」で係り結びになります。
 
人気のテーマ「忍ぶ恋」で詠んだ歌です。
忍んでいる(隠している)恋なのに、激情がほとばしる強い歌です。
 
藤原定家と恋仲だったともいわれるため、この歌も定家への想いがあふれているのではないかと思われがちですが、真偽は不明です。

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90.殷富門院大輔(いんぶもんいんのたいふ)

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殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)は、藤原信成の娘です。
 
後白河天皇の第一皇女、亮子内親王(式子内親王の姉で、後の殷富門院)に仕えました。
当代一流の歌人で、「歌林苑」のメンバーです。
非常にたくさんの歌を詠み、「千首大輔」とよばれています。
 
西行法師(86番)俊恵法師(85番)寂蓮法師(87番)などと交流があり、藤原定家(97番)とも懇意でした。

【参考】俊恵法師と西行法師の歌(85・86番)
【参考】寂蓮法師の歌(87番)

 
この歌は、「本歌取り」の歌です。
このころ、本歌取りの技巧が流行りました。
 
本歌は、源重之(48番)のこちらの歌です。
 
松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか
松島の雄島の海人もこんなに袖が濡れることはなかったでしょう。私はそれほど泣いているのです。

 
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも
ぬれにぞぬれし 色はかはらず

 

【覚え方】店ぬれる

お見せしましょうか? 血の色で変わった私の袖を。雄島の海人の袖だって濡れに濡れたって色は変わらないというものなのに。

 

「雄島(をじま)」は、「歌枕」として有名な陸奥国(現在の宮城県)の松島にある島です。
「袖だにも」の「だに」は「~でさえ」という意味です。
 
「袖でさえも」 という意味になります。 
「色は変はらず」袖の色が変わるのは、泣きすぎて涙がついには血の涙に変わり袖の色が染まったためです。
「血涙」というのは、中国の古典から来た言葉です。
「涙で袖を濡らす」という言葉が、これまでさんざん歌に使われてきているので、もっと大げさに表現して印象付けています。
 
本歌の源重之の歌の返歌のようになっていますね。
粋な趣向をさらりと使い熟しているあたりが、さすがです。

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

 

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