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皇太后宮大夫俊成って誰でしょう。
そもそも、なんと読むのかわかりにくいです。でも後ろの2文字を見ると・・・。
そう、藤原定家の父、藤原俊成です。
皇太后宮大夫というのは、彼の役職名です。
天皇の生母の御殿の事務をとる役所の長官を、務めていました。
 
藤原俊成は、友人の西行(86番)と共に、中世和歌界の代表的歌人です。
 
皇太后宮大夫俊成というのは、「こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい」と読みます。

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83.皇太后宮大夫俊成

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藤原俊成は、藤原俊成の息子で、定家の父です。
『千載和歌集』の選者です。
 
平安末期から鎌倉初期にかけての代表的歌人で、たくさんの弟子を指導しました。
その中には、息子の定家(97番)寂蓮法師(87番)藤原良経(91番)式子内親王(89番)などがいます。
 
この歌は、「述懐百首」の中にあるもので、お題は「鹿」でした。

 
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

 

【覚え方】世の中の山奥

この世から逃れたいと思っても、そんな道はないのだ。思い悩んだ末に世を捨てようと入った山奥でさえ、鹿が悲しげに鳴いている

 

「世の中よ」と初句で「詠嘆」もらしています。
その後の「道こそなけれ」で切れているので二句切れの歌ですね。
 
「道こそなけれ」「鹿ぞ鳴くなる」の「こそ」「ぞ」は強調を表します。
この二語にかかる表現上の工夫が係り結びです。
 
この歌は、俊成が20代後半で詠んだ歌ですが、当時、相次いで3人の友人が出家し、自らの人生について深く考えています。
友人の佐藤義清は、「北面の武士」という重役であったのに、あっさり世を捨てました。それが西行(86番)です。
      
自分も捨てれるものなら世を捨てたいけれど、悩みはどこへ行こうとつきないのではないかと、思い悩む心情が伝わります。
 
この歌は、種別では「雑(ぞう)」の歌です。
「雑」の歌は、知名度抜群の代表的歌人や大物官吏の歌が多いですね。

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84.藤原清輔朝臣

 
藤原清輔は藤原顕輔(79番)の息子です。
 
父が15歳のときの子供なので、あまり年が離れていません。清輔は優秀でしたが、父と不仲で若いころは不遇でした。崇徳院の命で父の顕輔が『詞花和歌集』を編纂したときも、手伝ったのに清輔の歌は一首も入れられませんでした。また、家柄の割に官位が低いのも、父の意向だったといわれます。
 
父・藤原顕輔の歌はこちらにあります。↓

 
しかし、『奥義抄』『袋草子』など歌論書を書き、二条院に認められます。
そして、父・顕輔が亡くなる直前に、ようやく「歌道六条家」を継ぐことを許してもらえました。
 
この歌には、認められない時期のつらさが込められてます。

 
ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき

 
【覚え方】ながら憂し

もしもこの先長く生きたとしたら、つらいことの多いこのこのごろのことを懐かしく思い出すのだろうか。やはりつらかった昔を、今では恋しいと感じられるように。

この歌は、現在・過去・未来という時制が含まれていてややこしいですね。
初句は未来、二句は現在、三句は未来、四句は過去、そして結句が現在となります。
 
「このごろや しのばれむ」は、「や」が疑問で、強調の語が入ったときと同じ係り結びの法則になっています。

 

 

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

 

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