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61番から80番までの歌人は、前半はまだ清少納言など平安中期の女流歌人が残りますが、後半は鎌倉時代に近づいていきます。
 
白河院から始まる「院政」と天皇の後継争いの元が生まれつつある時期です。
 
一条天皇から鳥羽天皇までの時代になります。
(一条・三条・後一条・後朱雀・後冷泉・後三条・白河・堀川・鳥羽)
 
「保元の乱」の大元になる白河天皇~鳥羽天皇の時代になりました。
もうすぐ、定家の生きた時代に入ります。(≧▽≦)

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「百人一首」の意味と覚え方・「61~80番」

61.いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
62.夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

伊勢大輔は伊勢神宮祭主の大中臣輔親の娘。中宮・彰子に仕えます。「詞花和歌集」
清少納言は、皇后・定子に仕えます。『枕草子』の作者です。「後拾遺和歌集」
 

 

63.今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな
64.朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木

藤原道雅は、藤原道隆の孫。藤原伊周の息子です。「後拾遺和歌集」
藤原忠頼は、藤原公任の息子です。和歌や書の名手です。「千載和歌集」
 

 

65.恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
66.もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし

相模は、藤原頼光の娘といわれます。祐子内親王に仕えます。「後拾遺和歌集」
前大僧正行尊は、3人の天皇の護持僧を務めます。延暦寺座主。「金葉和歌集」

 

 

67.春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそをしけれ
68.心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

周防内侍=平仲子は4人の天皇に仕えます。「千載和歌集」
三条院は、36歳で天皇になりましたが、道長に譲位を迫られます。「後拾遺和歌集」

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69.嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり
70.さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮

能因法師は26歳で出家し、僧として、また歌人として生きます。「後拾遺和歌集」
霊山法師は比叡山の僧でした。白河天皇のころ、歌人として活躍。「後拾遺和歌集」

 

 

71.夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く
72.音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ

源経信は「三船の才」と呼ばれる秀才です。漢詩・和歌・管絃の名手。「金葉和歌集」
祐子内親王紀伊は藤原重経の妹です。祐子内親王に仕えました。「金葉和歌集」

 

 

73.高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ
74.憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

大江匡房は赤染衛門の暇と。源義家に兵法を教えます。「後拾遺和歌集」
源俊頼は源経信の息子で、『金葉和歌集』の選者。「千載和歌集」

 

 

75.契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
76.わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波

藤原基俊は若いころの藤原俊成の歌の師。『新撰朗詠集』の選者。「千載和歌集」
藤原忠通は慈円の父。鳥羽天皇から4代の関白を務める。「詞花和歌集」
 

 

77.瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
78.淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守

崇徳院は『詞花和歌集』を編纂させた。「保元の乱」で敗北し讃岐に流刑に。「詞花和歌集」
源兼昌は宇多天皇の子孫。堀川・鳥羽天皇に仕える。「金葉和歌集」

 

 

79.秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
80.長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ

藤原顕輔は『詞花和歌集』の選者。歌道の家・六条家の長。「新古今和歌集」
待賢門院堀川は崇徳院の母・待賢門院に仕える女房。「千載和歌集」

 

 

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