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「百人一首」の歌人の中には、「三十六歌仙」に数えられる人が多くいます。
「三十六歌仙」を選んだ藤原公任は「百人一首」(55番)の歌人です。
 
今回は、平安中期の秀才貴公子・藤原公任を取り上げます。

 

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藤原公任

藤原公任は、関白太政大臣・藤原頼忠の息子(長男)です。
百人一首の名は大納言公任です。『和漢朗詠集』の編者でもあります。
 
藤原道長の時代に、学問(漢詩)・和歌・管絃のすべてで一流の才能を発揮し、政(まつりごと)の支えにもなりました。➾四納言の一人
 
出生が藤原摂関家の主流・小野宮流であるためか、良い意味でも悪い意味でもプライドの高い人だったようです。
藤原斉信が自分より先に出世したときなど、すねて出仕しなかったことも何度かありました。
彼が出仕しなければ、政(まつりごと)が滞ります。
 
頭の良い人なので、わかってやってますね。(^-^;
かなり面倒くさそうですが、人間味があっておもしろいです。

『大鏡』

こちらの記事で述べていますが、藤原道長らと大井川に行ったときの出来事が記されています。
「三船の才・公任の誉」という逸話です。

 

『紫式部日記』

紫式部が書いた『紫式部日記』に登場します。
一条天皇と中宮・彰子の皇子・敦成親王(後の後一条天皇)の出生50日目のお祝いの宴の席のことです。
 
宴の場で紫式部など多くの女房がいる所に公任がやってきて、「このあたりに若紫はいませんか?」と問いかけたところ、紫式部は「光源氏がいないのに紫の上がいるわけないでしょう」と聞き流したといいます。
 
「若紫」を素直に受け取ると、源氏物語のヒロインである「若紫」に掛けた紫式部を指します。しかし、深読みすると、この「若紫」は「我が紫」ととることもできるので、当時二人は恋人同士だった?と邪推する意見もあります。
 
そこらへんの人間関係は詳細不明ですが、このとき既に公任が『源氏物語』を読んでいたことは確実ですね。

 

六歌仙

六歌仙のおさらいをします。
 
「六歌仙」は紀貫之が『古今和歌集』を選んだとき、その仮名序で選んだ6人。
在原業平、小野小町、僧正遍照、文屋康秀、喜撰法師、大友黒主です。
 
「六歌仙」と紀貫之の仮名序はこちらです。↓

 

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三十六歌仙


 
「三十六歌仙」は、それから約100年後、藤原公任が選んだ「三十六人撰」という和歌集の歌人たちのことです。
 
公任は、6人の歌人から10首ずつ、30人の歌人から3首ずつ選びました。
公任自身は「三十六歌仙」という言葉は使っていませんが、
その36人が、後に「三十六歌仙」とよばれるようになります。

10首選ばれた歌人

柿本人麿、紀貫之、凡河内躬恒恒、、伊勢、平兼盛、中務

3首選ばれた歌人

山部赤人、大伴家持、猿丸大夫、在原業平、僧正遍昭、小野小町、素性法師、
紀友則、壬生忠岑、藤原兼輔、藤原朝忠、藤原敦忠、藤原高光、源公忠、
藤原敏行、源重之、源宗于、源信明、藤原清正、斎宮女御、大中臣頼基、
藤原仲文、藤原興風、清原元輔、源順、大中臣能宣、坂上是則、藤原元真、
小大君、壬生忠見

 

特徴

 
赤色の文字は『古今和歌集』の選者
青色の文字は「六歌仙」
緑色の文字は「梨壺の五人」
です。
 
「六歌仙」は紀貫之が選んだので平安初期までの人物、
「三十六歌仙」は藤原公任が選んだので平安中期までの人物になります。
 
『古今和歌集』の選者4人がすべて入っていますね。
 
紀貫之がもっとも優れていると称した柿本人麻呂山部赤人は、三十六歌仙にも選ばれています。大伴家持は、『万葉集』編纂の中心人物とされている人です。
 
36人もいるので現代の識者に才能を疑問視されている人もいますが、藤原定家は歌作りの参考になるものとして、この「三十六歌仙」と『三代集』を挙げています。(※『三代集』は『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』)

おわりに

藤原公任の「三十六歌仙」の影響を受け、その後、「中古三十六歌仙」や「女房三十六歌仙」もできました。
 
「中古三十六歌仙」は藤原範兼の『後六々撰』に載っている和歌の名人36人の総称で、「女房三十六歌仙」は、鎌倉中期に成立した『女房三十六人歌合』に歌が載っている女性歌人36人をいいます。

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