この記事を読むのに必要な時間は約 5 分です。

藤原顕輔は、『詞花和歌集』の選者です。
この歌が詠まれたときはまだ平和で、崇徳院が歌会などをよく催されていました。この和歌集は、崇徳院の命で編纂したものです。
 
顕輔は「保元の乱」が起こる前に死去します。
 
待賢門院堀川は崇徳院の母に仕えました。
出家したときも、一緒について行きます。
 
どちらも崇徳院ゆかりの歌人です。

スポンサーリンク

79.左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)


 
 左京大夫顕輔=藤原顕輔です。
父は六条藤原家を作った藤原顕季です。
和歌の師は、父の友人の源俊頼(74番)です。
息子は、藤原清輔(84番)です。
 
『詞花和歌集』の選者として知られます。
 
師匠の源俊頼の歌はこちらです♪↓

 
この歌は崇徳院に贈った百首歌「久安百首」の中の1首です。
「百首歌」は、いくつか決まったお題で詠んだ歌を100首集めたものです。
崇徳院(77番)の「百人一首」の歌も、この「久安百首」から選ばれました。

            

 
秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれ出づる月の 影のさやけさ

 
【覚え方】秋風にもれ出る

秋風に吹かれてたなびいてゆく雲の切れ目から、もれ出てくる月のひかりがきらきらと明るく澄みきっている!

 

秋の美しい空を詠んだ歌です。
雲の隙間から漏れ出る美しい月の光の表現が見事ですね。
「雲の絶え間」の「絶え間」は「とぎれた切れ目」という意味です。
「月の影」は、ここでは「月の光」を意味します。
 
「保元の乱」の前、崇徳院がまだ宮中で歌人たちを集めて多くの歌会を催していたころの出来事です。

スポンサーリンク

80.待賢門院堀川(たいけんもんいんのほりかわ)


 

待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)は源顕仲の娘です。
崇徳院の母、待賢門院(中宮・璋子)に仕え「堀河」と呼ばれました。
 
崇徳院が弟に譲位させられたとき、待賢門院は出家し堀河も一緒に出家しました。
 
この歌は、上の歌と同じく「久安百首」の中の1首です。
お題は、「後朝(きぬぎぬ)の文」に対する返歌です。
 
「後朝」とは、男性が女性(妻または恋人)の家に通って一晩を過ごした翌朝のことです。
「後朝の文」とは、男性が帰った後、女性に贈る歌(ラブレター)のことです。

平安時代の風習でした。

 
長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ

 
【覚え方】長く乱れて

長く続かないかもしれない、あなたの愛情の確かさもわからないわ。だから一夜を過ごした後のこの長い黒髪が絡んで乱れるように、今朝の私の心も乱れているのよ。

「乱れて」が「黒髪の乱れ」と「心の乱れ」の二つの意味を持ちます。
この歌の「今朝」はお題から考えて逢瀬の翌朝です。
 
平安時代の結婚は、女性は待つことしかできない部分がありました。
その心細さと激情をうまく織り込んで表した歌です。
 
お題があるということは、特定の恋人にあてた文(歌)ではないですね。
そう思うと、いっそう歌の才のあるひとだと思えます。(´・ω・)

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

 

スポンサーリンク