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源経信「三船の才」と呼ばれた秀才です。
藤原公任(55番)さんと同じですね。
 
漢詩・和歌・管絃すべての才能に恵まれた人物を「三船の才」とよびます。
源経信が10代の頃、兄に連れられて隠居していた藤原公任(当時70代)に会っています。その場には、能因法師(69番)や相模(65番)もいたようです。
 
55番「藤原公任」の歌はこちらです。
69番「能因法師」の歌はこちらです。
65番「相模」の歌はこちらです。
 
71番の源経信の歌は、源師賢の別荘で開かれた歌会で詠んだものです。
72番の祐子内親王紀伊の歌は、『堀川院艶書合(えんしょあわせ)』という後世名高い歌合で詠んだものです。
 
どちらも歌の会で技巧を競った歌ですね。

 

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71.大納言経信=源経信

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源経信は、博学多才で「三船の才」とよばれました。
大納言になった後、大宰権帥になります。
源俊朝朝臣(74番)は息子で、俊恵法師(85番)は孫です。
 
平安中期以降、貴族の間では、田舎をリゾート地にして別荘を建てるのが流行りました。
この歌は、源師賢の梅津の別荘で歌会をしたときに詠んだ歌です。
お題は「田家ノ秋風(でんかのしゅうふう)」に決まっていました。

 

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
葦のまろやに 秋風ぞ吹く

 
【覚え方】夕葦の

夕方になると、山荘の門前に広がる稲の葉を、さやさやと音を立ててそよがせ、さらにこの葦ぶきの家にまで秋風が吹きよせてくるよ。

 
「おとづる」は「訪れる」以外に「声や音を立てる」という意味があります。
「芦のまろや」は屋根が芦葺きの粗末な小屋という意味ですが、ここでは源師賢の別荘のことです。
 
秋の風景を素直に歌った美しい叙景の歌ですね。(´・ω・)

祐子内親王紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)


 

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祐子内親王紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)は、兄の藤原重経が紀伊守(きいのもり)だったのでこの名でよばれます。後朱雀天皇の皇女・祐子内親王に仕えました。
 
この歌は、前述した『堀川院艶書合』で詠まれた歌です。
この歌合は、男性側が先に女性側に歌を送り、その後、改めて女性側から男性側に返歌するという形式のものです。
お題は「恋文」です。
 
中納言俊忠からの歌に祐子内親王紀伊が返した歌です。
藤原俊忠は29歳、祐子内親王紀伊は、なんとこのとき70歳でした。
 
おもしろい趣向の遊びですね。
 
まずは、藤原俊忠の「恋の歌」はこちらです。
「人知れぬ 思ひありその 浦風に 波のよるこそ いはまこしけれ」
(人に知られていない恋心があります。有磯の浦の風で波が「寄る」ように「夜」になるとあなたに「寄り」たいと伝えたいのです。)

 

それに返した祐子内親王の歌がこちら↓

音に聞く 高師の浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ

 
【覚え方】音にかけじ

うわさに聞くわよ、高師の浜のよせては返す高波のように、移り気で浮気な方だって。そんな方に思いをかけたりはしません。あとで涙で袖を濡らすのは嫌ですからね。

俊忠の「有磯の浜」に対する紀伊の「高師の浜」
俊忠は「有り」と「有磯」、「寄る」と「夜」の2つが掛詞。
紀伊は「高師」と「高し」、「(波を)かける」と「(思いを)かける」に、2つの意味を持たせています。
 
俊忠の「浦」「波」「寄る」の縁語使い
「浜」「波」「濡れ」の縁語で返しています。
 
すごい技巧使いです。
こうして歌のテクニックを競い合うのですね。(*´Д`)
 
年齢を重ねた女性の歌の才能に、若手の男性陣も感服したのではないでしょうか。
 
機知にとんだ優雅な遊びです♪

 
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