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今回は、周防内侍三条院です。
 
周防内侍が女房として仕えていたのは、後冷泉天皇から堀川天皇です。
彼らの在位は1000年代後半です。
周防内侍と歌のやり取りをした藤原忠家は、藤原道長の孫です。
 
時代が下ってきたのが読み取れますね。
藤原道長の時代に摂関政治が頂点に達し、その後、藤原氏の外戚としての力は弱まっていきます。
そして、白河天皇が上皇になったとき院政が始まります。
(1016年:藤原道長が摂政に。1086年:白河上皇が院政開始)
 
そういう時代背景も、同時に感じてほしいと思います。(´・ω・)

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67.周防内侍(すおうのないし)

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周防内侍は、平棟仲(たいらのむねなか)の娘です。
本名は仲子(ちゅうし)です。
後冷泉、後三条、白河、堀河天皇に仕えました。
 
「詞書」のエピソードはこちらです。
 
ある日、女房たちが夜更けまでおしゃべりをしていたとき、周防内侍が眠くなって思わず「ああ、枕がほしいわ。」とつぶやいたことがありました。
そのとき、御簾の隙間からぬっと腕が差し出され、「私の腕を枕にされてはいかがでしょう。」との声がかかったのです。
声の主は、大納言・藤原忠家でした。
 
そんな戯れの恋の呼びかけに、歌で返したのが、この一首です。

 
春の夜(よ)の 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に
かひなく立たむ 名こそ惜(を)しけれ

 
【覚え方】春の夜のかいなく

春の夜の夢のような短くはかない腕枕のために、変な噂が立って甲斐もなく憂き名を流すなんて、悔しいですわ。

「かひなく」は「つまらない」という意味です。
「手枕(たまくら)」にする「腕(かひな)」と「かひなく」が掛詞になっています。
「名こそ惜しけれ」というフレーズは、和歌によく出てきます。
「名」は「評判」という意味で、「こそ」は係助詞です。
「噂が立ったら悔しい」という意味になります。
 
周防内侍と藤原忠家は、気心の知れた友人関係だったのでしょう。
軽快で見事な返歌です。
 
腕が引っ込んだと思ったら、またまた忠家から返歌があったようです。
 
「契りありて 春の夜深き 手枕を いかがかひなき 夢になすべき」
(前世からの運命ですよ、この腕枕を夢になんてしませんよ)
 
平安エリート貴族の恋は、教養や発想力がないと楽しめなさそうです。
スペック高い・・・。(/・ω・)/

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68.三条院

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三条院は冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子です。
皇太子となってから25年も天皇の位を待ち、ようやく即位できましたが、眼病を患い6年後に後一条天皇に位を譲りました。
在位中に二度も御所の火災に遭い、藤原道長が前の天皇の一条院と娘・彰子との間の皇子を即位させようとして、退位をせまったため、苦難の連続でした。
  
娘の当子内親王と藤原道雅の恋も、三条院の心を苦しめました。
 
【参考】三条院の娘「当子内親王」の恋人「藤原道雅」の歌
 
この歌は、目を患ったことを理由に藤原道長に退位を迫られた三条天皇が、退位を決心したときに詠んだ一首です。
その思いをくみ取って読むと、いっそう切なさが感じられます。

 
心にも あらで憂き世に ながらへば
恋(こひ)しかるべき 夜半(よは)の月かな

 
【覚え方】心にも恋し

思いがけず、このつらく悲しい世を長く生きてしまったとしたら、いつか恋しく思うのだろうなあ。お前と見上げた今夜のこの美しい月を。

「心にもあらで」は「不本意ながら」いう意味です。
「うき世」は「浮世」・「現世」のことです。
 
生きることのつらさを詠んだ歌です。
本心では早くこの世を去りたいと思っているのに、まだ生きながらえているという権力争いに負けた脱力感がにじみ出ています。
 
三条天皇は、後一条天皇に譲位した翌年に、病で亡くなりました。

 
 
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