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65.相模(さがみ)


 
相模は源頼光(よりみつ)の娘(養女かも?)です。
夫の大江公資(きみより)が相模守になり、共に赴任したので、相模とよばれるようになりました。
 
女流歌人として高く評価されていますが、実生活では悩みが多く、公資と離婚し、一条天皇の皇女、脩子内(しゅうしない)親王の女房となります。その後、藤原定頼(64番)などとも恋愛しましたが、うまくいきませんでした。

 

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【参考】公任の息子・藤原定頼の歌↓


 

歌の才は認められましたが、恋の悩みが多い人だったようです。
  
 
恨み詫び ほさぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ 名こそ惜(を)しけれ

 
【覚え方】恨み恋に朽ちる

あなたのつれなさを恨み悲しみ、流した涙で濡れて干す暇もない袖があるけれど、それよりもあなたに捨てられてたと噂が立って、朽ちてしまう私の名誉のほうが惜しいのです。

 
「ほさぬ袖」は、いつも流れる涙を拭いているので「乾くひまもない袖」という意味です。和歌によく使われる表現です。
 
失恋を嘆き悲しむ歌です。
かなり重い歌ですね。
「百人一首」に選ばれたのがこの歌がなので、自分の身の上を悲しむ歌が多いような印象を持ちますが、美しい恋の歌もたくさん残しています。
 
藤原定家は(←もともと恋の歌が好きな人ではありますが)、相模の恋の歌が好きで、歌集にたくさん選んでいます。

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前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)


 
前大僧正行尊三条天皇(68番)の曾孫、源基平の息子です。
12歳で出家し、密教を学んで大峰や熊野などで厳しい山伏の修行を積み、延暦寺の座主になります。
 
加持祈祷を得意とし、白河・鳥羽・崇徳という3人の天皇の御持僧として仕えました。御持僧(ごじそう)とは、天皇の身を守るため祈祷を行う僧です。
 
鳥羽天皇が腰痛で立てなくなったとき、祈祷であっという間に治したという話が残っています。(霊力?( ゚Д゚)?)
 
修験道の行者(山伏)として、また歌人としても有名な人です。
 
この歌は大峰(現在の奈良県吉野郡)で修行中に、偶然山桜を見かけたときに詠んだ歌です。

  
 

もろともに あはれと思へ 山ざくら
花よりほかに 知る人もなし

 
【覚え方】もろともに花よ

一緒に懐かしいと思っておくれ、山桜よ。この山奥では、お前のほかに私の気持ちをわかってくれるものはいないのだから。

「山桜」を疑人化して「一緒に懐かしいと思っておくれ」と語りかけています。
「知る人」とは知人ではなく、「自分(の気持ち)をわかってくれる人」のことを指します。
 
山奥に咲く美しい山桜に癒され、しみじみと心情を詠んでいます。
人知れず咲いている山桜の姿に、世間を離れて孤独に修行をする自分を重ねたのでしょう。

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

「百人一首」まとめ記事~全首の意味・覚え方とおすすめ参考文献!


 

  

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