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伊勢大輔は中宮・彰子のサロンで務めます
紫式部や和泉式部・赤染衛門の後輩の女房です。
 
清少納言は、その少し前に宮中で中宮(後の皇后)定子に仕えた女房です。
 
定子と彰子の名前がよく出てくるので、関係をまとめておきます。

 

皇后・定子(ていし)と中宮・彰子(しょうし)

一条天皇は、藤原道隆の娘・定子を妻に迎えます。
このとき、後ろ盾が藤原道隆に決まりました。
 
しかし、藤原道隆は病で早くに亡くなります。
その後、道隆の息子・伊周(定子の兄)弟・道長の勢力争いが起こり、道長が勝利します。
 
そして、道長は天皇の後ろ盾になるため自分の娘・彰子の入内を一条天皇に勧めるのです。
一条天皇と定子は、仲睦まじい夫婦だったそうです。
しかし、道長の力を無視することはできず、結局天皇は彰子とも結婚します。
 
ここで中宮(天皇の正室)が2人という事態になったのです。
これによって、定子は「皇后」に、彰子は「中宮」となりました。
 
彰子の入内は、後ろ盾のない定子にとって大きな精神的負担になったでしょう。
定子はその数年後、出産が原因で亡くなります。
それを受けて、清少納言は引退し、夫と共に摂津国へ行ったといわれます。
 
紫式部が彰子のサロンに入ったのは、その後です。
ですから、仕えていた定子と彰子は立場的にライバル関係にありましたが、清少納言と紫式部は同時期に宮廷に務めていたのではありません。
 
でも、紫式部は『紫式部日記』に、ちょこっとだけ清少納言の悪口っぽいことを書いています。(;・∀・)

 
【参考】
「和泉式部」と「藤原公任」の歌

「紫式部」とその娘「大弐三位」の歌

「赤染衛門」と和泉式部の娘「小式部内侍」の歌

 

61.伊勢大輔(いせのたいふ)

 
伊勢大輔は大中臣能宣(49番)の孫です。
代々伊勢神宮の祭主をつとめる由緒ある家系で、
「伊勢」という名はそれに由来します。

 

伊勢大輔が、彰子のサロンに入ってしばらくすると、宮中に届けられた八重桜の献上品を受け取る役を与えられました。
この役は、紫式部の後任だったため、かなり緊張したようです。
そのとき、藤原道長に歌を詠むように言われ、即興で詠んだのがこの歌です。

 

いにしへの 奈良の都の 八重ざくら
今日九重(けふここのへ)に 匂ひぬるかな

 

【覚え方】いにしえの京

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遠い昔、都だった奈良で咲き誇っていた八重桜が、今日はこの宮中(九重)で美しく輝いていますわ。

 
当時、すでに奈良の平城京が「いにしえ」(遠い昔)と思われていたというのが分かりますね。
 
八重桜(やえざくら)は花弁がたくさん重なり合う(八重になる)、ぽっくりしたかわいい花を咲かせます。
奈良に多く咲いていて、当時は京都では珍しかったのでしょう。
 
「いにしえ」と「今日」が対比的に使われています。
「九重」は「宮中」の意味で使われ、「八重桜」の「八重」と対比した言葉になっています。
 
対比のテクニックを使いながら、八重桜の美しさを、見事に表現していますね。

 
【参考】


 

62.清少納言(せいしょうなごん)


 
代々学者の家柄である清原家出身。
清原深養父(36番)の曾孫、清原元輔(42番)の娘です。

 

藤原実方の恋人で、その後、藤原行成と恋仲だったといわれています。
 
この歌は、清少納言の(漢詩の)教養の深さが伺えるエピソード付きです。
 
ある日、藤原行成が清少納言の元へやってきたけれど、早々に帰ってしまったことがありました。
 
その次の朝、「鳥の鳴き声に急かされたから」と行成は言い訳の文を届けます。
  
清少納言は「それはきっと嘘ね。函谷関(かんこくかん)の故事のような、鶏の空鳴きでしょう」と文を返します。
函谷関の故事とは、「史記」の中の斉の孟嘗君(もうしょうくん)のエピソードです。
孟嘗君は、朝にならなければ開かない関所を開けるため策を弄して、鶏の声まねをして関守を騙したという話があります。
 
その後、「その関というのは、あなたに逢うための逢坂の関ですよ」と、またまた言い訳を繰り返す行成に返したのがこの1首です。

 

夜をこめて 鳥のそら音(ね)は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ

 
【覚え方】夜をよに

一晩中、鶏の鳴きまねをしたって、残念ですけど、私の逢坂の関は開かなくてよ。

「夜をこめて」の「こめる」は「包みこむ」という意味の動詞です。
 
「鳥のそら音は」の「鳥」は「鶏」のことで「そら音」は「鳴きまね」です。
「鶏の鳴きまねをはかった」というのが、中国の史記を題材にした表現です。
 
「逢坂の関」は男女が夜に「逢ふ」と意味を掛けた掛詞で、和歌に使われることが多いです。
 
行成はこのとき「頭の弁」という役職で、中宮に連絡をとるため中宮付きの女房と職務上よく会っていました。
ですから、清少納言とも気易かったのでしょうね。
 
実は、この後、行成はかなり失礼で下手な冗談の「和歌」を返しています。
やっぱり、行成は歌の才能はないんだな~というエピソードでもあります。
 
清少納言のほうが6才年上というのが、なんとなく納得です。

 
【参考】


 

 
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