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53・54番の歌人は、女性です。
 
どちらも「息子の役職名+母」となっていますね。
 
当時は、女性が本名を人に名乗ることは、まずありませんでした。
昔は「本名」が非常に大切なものだったので、親兄弟や夫にしか教えなかったからです。ですから、皇族やそれに準ずる高貴な生まれの人以外は、記録に本名は残りません。
 
これは男性にも言えることで、公的な文書に本名を記載することはあっても、普段、人と呼び合うときに使うことはありませんでした。

 

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右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)


 
右大将道綱母は、「本朝三美人」の1人と称されるほど美しい人でした。
摂政・藤原兼家との間に道綱をもうけます。
 
しかし、兼家には正室・時姫がいて、正室との間に道隆や道長がいます。
藤原道長は摂関政治の最盛期を築いた人物です。
兼家とは、後に離婚します。
 
彼女はまた、「蜻蛉日記」の作者として、広く知られています。
 
この歌は、浮気性の夫、兼家に送った歌です。

 
嘆きつつ 独り寝る世の 明くるまは
いかに久しき ものとかは知る

 
【覚え方】嘆きのイカ

あなたのことを想ってひとりで眠る夜はどんなに長いか、あなたは知っているの。いいえ知らないのでしょうね。

 
やっぱり「蜻蛉日記」の作者だなという歌ですね。
「蜻蛉日記」は、乱暴に言うと浮気性の夫に悩む妻がグチを書いた日記です。
でも、言葉の表現は美しいです。
 
夫の兼家は当時、宮廷一の実力者でしたから、大変だったでしょうね。
 
平安時代の離婚は、夫の足が遠のいたら自然消滅というケースが多いです。
美貌の女流作家とはいえ受領の娘、気の多い権力者を夫に持つと悩み多き人生になると分かります。
      

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54.儀同三司母(ぎどうさんしのはは)


 
儀同三司母円融天皇に仕えた才媛です。
夫は藤原兼家の息子の藤原道隆で、息子は伊周(これちか)です。
伊周(これちか)が儀同三司という位についたので、この名でよばれます。
 
また、一条天皇の中宮となる定子の母でもあります。
その定子に仕えたのが清少納言(62番)です。

 

忘れ路の 行く末までは かたければ
今日をかぎりの 命ともがな

 
【覚え方】忘れ路の京

忘れないよとあなたが約束してくれたことが、この先ずっと変わらないと言えないなら、最高に幸せな今日で命が終わってしまえばいいのに。

 
「忘れじ」は、「いつまでも君を忘れない」という意味の男性の使う言葉です。
「じ」は打消しの意志の助動詞です。
あまり技巧を使っていないところがかえって効果的で、ストレートに心情が届きます。
 
当時の「通い婚」は、夫が妻に愛情を感じなくなると、足が遠のきそのまま離婚となります。
通わなくなると贈り物や生活費も途絶え、妻の家はさびれていきます。
 
相思相愛で幸せの絶頂にいるときにも、冷静に後々のことを想定できる聡明な女性とわかりますね。
 
道隆は中関白(なかのかんぱく)とよばれ、兼家の後を継ぐと思われていました。
しかし、若くして病で亡くなり、その後、権勢は弟の道長に移ってしまいます。

 
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