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「百人一首」もここで折り返し地点です。
 
この辺りから藤原道長が権勢を振るう時期に差し掛かります。
 
道長は、3人の天皇の外祖父になるという不動の地位を築いたことで知られます。(後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の祖父です)
豪快な性格ですが、文学好きとしても知られています。
 
藤原北家の内部争いは「道長VS伊周」で終了しますが、
その後、道長の死によって、藤原氏の外戚としての力は急速に弱まり
摂関政治が終焉に向かいます。
 
51・52番の藤原実方藤原道信は、親友でもちろん親類です。
藤原道信は藤原公任(55番)とも親友でした。
 
同年代の人だったと分かりますね。↓


 

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51.藤原の実方朝臣

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藤原実方は、「在原業平以来の色男」とよばれる人物です。
和歌の才があり、宮廷でも女性に非常に人気がありました。
 
貞平公・藤原忠平(26番)の曾孫で、清少納言(62番)の恋人です。
 
清涼殿で「書道三蹟」の一人藤原行成と諍いを起こしたことが「十訓抄」に書かれています。宮廷の花形貴公子でしたが、陸奥守(むつのもり)となり陸奥(東北地方)に赴任します。そのとき、源重之(48番)も一緒に行きました。二人とも都に戻ることなく、陸奥で亡くなったと伝えられます。
 
陸奥は東北地方ですが、昔から和歌によく詠まれ、都人にとってはまだ見ぬ憧れの地でもありました。
源融(14番)が河原院に陸奥の風景を模した庭を作り、塩焼きをしたのもそういう理由からです。

 


 
この歌は、当時想いを寄せていた女性に始めて送った文を送ったときのものです。『後拾遺集』詞書による)
 

かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな もゆる思ひを

 
【覚え方】かくとさし

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こんな風に君に恋をしているなんて言うことなんてとてもできない。だから伊吹山に生える「さしも草」のお灸のように、僕の心で静かにくすぶり燃えている思いを、君は知らないだろうね。

 
「さしも草」はお灸に使われたものです。
ですから、この恋の燃え方は、ずっとく小さくすぶり続けているという感じですね。
宮廷一の色男にこんな歌を詠ませたのは、いったい誰でしょう。
恋人がたくさんいたから、そんなにすごいことでもないのかもしれませんが・・・。
 
「いぶきのさしも草」が序詞。
「もゆる」と「火」は「さしも草」の縁語。
「思ひ」は「火」と掛詞
になっています。
 
極めて技巧的ですが、さらりと読ませるあたりに力量がうかがえます。
 
言葉の意味が分かりにくい歌ですので、少し補足します。
「かくとだに」は「こんなに思ってるとさえ」。
「かく」は指示副詞。
「だに」は「さえ」という意味の副助詞です。
「えやはいぶきの」は「言うことはできません」。
「え」は下に打消を伴う副詞。
「はや」は反語の係助詞です。
 
ゆかりの人の歌はこちらです^^♪


 

 

52.藤原道信朝臣


藤原道信謙徳公・藤原の伊尹(これただ)(45番)の孫です。
太政大臣・藤原為光の息子。
 
類まれな和歌の才能を持つと称されました(『大鏡』)が、
流行り病で23歳で夭逝します。
 
親友に、藤原実方(51番)藤原公任(55番)がいます。
ハイスペックな3人組ですね。(´・ω・)
 
この歌は「後朝(きぬぎぬ)の歌」です。(『後拾遺集』詞書)
逢瀬の次の日の朝、男性はその女性に文(ラブレター)を送る慣習がありました。

 
 

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな

 
【覚え方】あけなお恨めし

夜が明ければ必ず日暮れがくる。そんなことはわかっているんだ。でも、憎らしくて仕方がない。あなたと別れなければならない朝をむかえることが。

 

恋人への恋心を非常に素直に詠んだ歌です。
まっすぐな気持ちが伝わりますね。
 
「朝ぼらけ」という言葉は、恋の歌によく使われます。
 辺りがほのぼのと明るくなってきた明け方を指しますが、恋の歌では一緒に夜を過ごした夜が明け、男性が女性のもとから立ち去る時間帯を暗示しています。

 


 

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

「百人一首」まとめ記事~全首の意味・覚え方とおすすめ参考文献!


 

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