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今回は、美貌の天才歌人「小野小町」の伝説を紹介します。
 
平安前期の、「小野小町」と「深草将校(ふかくさのしょうこう)」の悲恋物語です。
 
この伝説には、いろいろなバリエーションがあって、舞台も京都バージョンと秋田(小町の故郷)バージョンがあるのですよ。
 
世阿弥などの「能」の作者が創作したことで、伝説として全国的に広まりました。
 
ここでは、京都を舞台にしたものをお話しします。

 

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百夜目の悲劇・・・

 

 
都で絶世の美女と称えられる小野小町。
 
彼女の元には、毎夜、数多くの殿方が入れ替わり求婚に訪れます。
深草将校も、そのうちの一人でした。
 
熱心に求愛する彼に、小町はあることを思いつきます。
 
「本当に本当に、わたくしのことを想ってくださるというなら、その証(あかし)を見せてくだいませ。これからの百夜の間、毎夜欠かさず通(かよ)ってくださるなら、あなたの想いにお応えしましょう。」
 
深草将校は、小町の言葉を信じて、毎晩毎晩、雨の日も風の日も必ず小町の元へ通います。
 
そして、そばに来てくれない小町に、自分が来たことを告げるため、毎晩1本の「芍薬(しゃくやく)」の花を残して帰りました。
 
将校は、宿直で遅くなっても、体調がすぐれなくても、なんとか時間を作って通い続けます。
 
 
そして、悲願達成を目前にした最後の日、彼は病と雪のため、息絶えてしまうのです。
 
 
その知らせを受けた小町は心から深く悲しみ、生涯彼の菩提を弔ったと伝えられます。

 

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「追記」

 

 
「深草将校」、どこかで聞いたという人もいるのではないでしょうか?
 
「深草将校」は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)=後の僧正遍照の呼び名です。
 
ですから、同一人物なのでは?とも推測されています。
 
でも、この話はあくまで創作で、おそらく宗貞はモデルなのです。
 
彼は長生きしていますから・・・。
 
「深草将校」というのは、「京都・伏見に住んでいる将校」という意味で、特定の人物名ではないんですね。
 
伝説では、伏見(ふしみ)から小町のいる山科(やましな)まで、毎日、牛車で通ったということになります。
 
千年以上前の真っ暗な夜道を、毎夜通うというのは、それはそれは大変なことですね。
 
少将の最期は、百夜目が嵐の日で、渡っていた橋ごと落ちたという説もあります。
 
また、この伝説から想像をたくましくして、百人一首12番の遍照の歌
 
「天つ風 雲の通い路(ぢ) 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」
「乙女」=「小野小町」説なるものまであります。
 
 
「伝説」なので、ツッコミどころ満載なのですが、当代きっての「美男美女」を主人公にして、美しくもはかないラブロマンスを創作したというところなのでしょう。
 
それがいまだに「伝説」として語り継がれているのですから、「小野小町」はやはり素晴らしい女性だったんじゃないかなと思います。
 
 

 

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