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過去には様々な「和歌集」が編纂されています。
ここでは、特に大切な「三大歌集」と21の「勅撰和歌集」について
まとめておきます。

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三大歌集

「和歌集」の中で特に重要な3集です。
それぞれ特徴的なので、わかりやすいです。

 
「三大歌集」の違いについての詳しい記事はこちらです。↓


 

万葉集

五七調が基調で、短歌は二句切れ、四句切れが多い。
枕詞・序詞を多用。
具象的・写実的・雄大で重厚な調べ。
ますらをぶり

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古今和歌集

流ちょうな七五調が基調で、三句切れが多い。
掛詞・縁語が多い。
優美繊細・屈折した感情表現。
たをめやぶり

新古今和歌集

七五調が基調で、初句切れが目立つ。
掛詞・縁語・本歌取り・体言止め
唯美的・芸術至上主義・象徴的手法
幽玄・妖艶の美・有心の理念を追求

勅撰和歌集

古典ではいろいろな和歌集の名前がでてきます。
和歌集には、「勅撰」と「私選」の2種類の分け方があります。

「勅撰和歌集」は、天皇などの命により編纂された歌集のことです。
「古今和歌集」(905年)から「新続古今和歌集」(1439年)まで21の勅撰和歌集があり、それらを「二十一代集」とよびます。

三大集

全部で21ある「勅撰和歌集」は、それぞれ三代集、八代集、十三代集と分けられます。
最初の3つが三代集です。

古今和歌集・後選和歌集・拾遺和歌集

八大集

「勅撰和歌集」のうち、三代集を含む始めの8つを「勅撰八代集」をいいます。
つまり「三代集の3集+5集」です。

古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集
後拾遺和歌集・金葉和歌集・詞花和歌集
千載和歌集・新古今和歌集

十三代集

八代集の後の13の勅撰和歌集を十三代集といいます。
全て合わせて(8+13)二十一代集です。

新古今和歌集・新勅撰和歌集・続後選和歌集・続古今和歌集
続拾遺和歌集・新後選和歌集・玉葉和歌集・続千載和歌集
続後拾遺和歌集・風雅和歌集・新千載和歌集・新拾遺和歌集
新後拾遺和歌集・新続古今和歌集

 

「百人一首」は「私選和歌集」


「小倉百人一首」は藤原定家が選んだ「私選和歌集」です。
藤原定家の日記「明月記」によると、親類の宇都宮頼綱に、嵯峨野・小倉山荘の襖を飾るため、色紙に書く歌を選んでほしいと頼まれたのがきっかけのようです。

定家はこの「百人一首」の歌を選ぶ前に、一つの「勅撰和歌集」を編纂しています。

それは後堀川天皇の命で選んだ「新勅撰和歌集」です。
この和歌集は、同じ「勅撰和歌集」の「新古今和歌集」と異なり、藤原定家が単独で編纂したものです。(「新古今和歌集」の選者は定家を含め6人います。)

「勅撰集」は選出するとき、どうしても時の権力者の意向に沿わなければいけません。自分が選びたいと思う歌を、すべて自由に選ぶことはできないのです。
 
藤原定家は天皇相手に口論をしてでも、自分の意思を通そうとした熱い人ですが(実際、謹慎処分を受けました)、それでもなかなか思うようにはいかなかったようです。

「新勅撰和歌集」では、定家は鎌倉幕府への配慮で、「承久の乱」で流刑に処された後鳥羽院順徳院の歌を除外しています。
 
しかし、彼らは当時、大変優れた歌人として知られていました。
 
「古今和歌集」の編纂を命じた天皇で、当時の和歌の中心人物であり、歌人の後援者でもあった後鳥羽院の歌を除くというのは、定家も腑に落ちなかったのではないでしょうか。
 
そういう事情もあり、この「新勅撰和歌集」の評判は、当時あまりよくありませんでした。

ちょうどそんな折、宇都宮頼綱から「私選和歌集」の依頼が舞い込んだのです。
 
「小倉百人一首」で定家が選んだ歌を見ていると、時代の敗者となった人の歌をいくつか取り上げているのが分かります。

後鳥羽院(99番)順徳院(100番)の他にも、「保元の乱」で負け讃岐に流罪となった崇徳院(77番)、時代をさかのぼると、藤原氏の圧力で皇系の血統を変えられた陽成院(13番)(9歳で即位し17歳で退位。その後60年の及ぶ隠遁生活を送る)などです。
「歌」で選ぶのは勿論のことですが、「人」で選んだと思える歌もあるのです。

自由に選んでいるので、定家の好みもよくわかります。

「百人一首」で選んだ歌集

藤原定家が百人一首を選んだのは次の十集からです。

「古今和歌集」(こきんわかしゅう)・・・24首
「後撰和歌集」(ごせんわかしゅう)・・・7首
「拾遺和歌集」(しゅういわかしゅう)・・・ 11首
「後拾遺和歌集」(ごしゅういわかしゅう)・・・14首
「金葉和歌集」(きんようわかしゅう)・・・ 5首
「詞花和歌集」 (しかわかしゅう)・・・5首
「千載和歌集」(せんざいわかしゅう)・・・14首
「新古今和歌集」(しんこきんわかしゅう)・・・14首
「新勅撰和歌集」 (ちょくせんわかしゅう)・・・4首
「続後撰和歌集」 (しょくごせんわかしゅう)・・・2首

並べてみると、もっとも古い「古今和歌集」の割合が大きいですね。
全体の四分の一ほどを占めています。
 
この「古今和歌集」、「百人一首」の始めのほうの番号の歌は、なぜか「恋の歌」が少ない特徴があります。「古今和歌集」の中には、恋の歌がたくさんあるにも関わらずです。おもしろいですね。
 
実は、「古今和歌集」のような古い歌集は、「詠み人知らず」の歌がとても多いのです。恋の歌も、誰がいつどこで詠んだものか、わからないものが多いのでした。

一方で、その「古今和歌集」の中から定家が選んだ歌は、今も歴史に名を残している人ばかりです。
ここでも定家は「人」で選んでいるのではないかと思えます。

おわりに

「百人一首」は始めはおもしろくても、40番台ぐらいからつまらなくなってくるという意見があります。
多分、それは平安中期の歌が、どれもこれも似たような「恋の歌」ばかりになってくるからだと思います。

でも、それを詠んだ人やその背景を知ると、少し覚えやすくなると思いますよ。(^^)♪

「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓
https://wabisabi-nihon.com/archives/5416