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「百人一首」7番の阿倍仲麻呂は、奈良時代後期の秀才で、10代で留学生として「遣唐使」に選ばれた人です。

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8番の喜撰法師から、平安時代の人物になります。
平安時代には、宮中で恋の歌が盛んに詠まれるようになりましたよ。

7.阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)

阿倍仲麻呂は19歳で遣唐使として唐に渡り、そこで驚くべき秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝に気に入られました。渡唐後30年ほど経ったときに帰国を許されましたが、舟が難破してなんと阿南(ベトナム)に漂着してしまいます。そこから再び唐に戻れましたが、
日本に帰ることはついに叶いませんでした。
唐の友人に王維、李白(どちらも漢詩の大家)がいます。

天の川 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

【覚え方】 天野三笠ちゃん

大空をはるかに仰ぎ見ると月が出ている。
あれは、かつて(故郷の)春日の三笠の山に出ていたのと同じ月なんだなあ。

この歌は、ようやく帰国を許されて、唐を去る前の「送別の宴の席」で詠まれたものです。故郷・奈良の三笠山で見た月を、なつかしく思う気持ちがあふれています。故郷に帰れると喜んで歌った一首だったというのが切ないですね。仲麻呂は、唐で73年の生涯を閉じます。彼が亡くなったとき、李白が悲しんで詠んだ「詩」(「晁卿衡を哭す」)が残っています。

「追記」

唐の玄宗皇帝は前半は「開元の治」とよばれる善政をしき唐の全盛期を導きますが、後半には「楊貴妃」を寵愛して政治的混乱(安史の乱)を招いてしまいます。

唐はこの後、国力が衰え日本の遣唐使派遣もだんだん減少し、ついに894年に廃止されます。朝廷の命を受け廃止を実行したのが菅原道真(24番)です。

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8.喜撰法師(きせんほうし)


喜撰法師は謎の多い人物です。生没年不詳ですが、平安初期の僧とされています。京都市の東南に位置する宇治山で、隠居暮らしをしていました。

現存する歌はこの一首のみですが、「古今和歌集」にも選ばれています。また「六歌仙」の一人でもあります。「六歌仙」とは平安初期の歌の名手を選んだもので、喜撰法師、在原業平、僧正遷昭、文屋康秀、小野小町、大友黒主のことをいいます。

わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり

【覚え方】わが庵はよお(う)!

わたしの庵は都の東南にあり、このように心静かに住んでおる。
この世を「憂し」といって「宇治」山に住んでいるのだと人々はうわさしているようだがなあ。

都人たちは、宇治の田舎でひっそり暮らす自分を、変わり者と思っているだろうけれど、自分はここで心静かに暮らしているのだという心情が、ひしひし伝わる歌です。都会暮らしよりスローライフを好んだ人だったのでしょう。また、雲に乗って飛び去り、仙人になったという伝説の残る人です。

宇治は後に、藤原頼道がこの世の極楽を具現するため「平等院鳳凰堂」を建てた地です。
宇治川のほとりは、四季折々の風景の美しさが楽しめて素晴らしいですよ。



 
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