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恵慶法師と源重之は友人でした。
二人とも和歌の才能があり、よく集まって歌を詠んでいたようです。
 
当時、「百首歌」というものが流行りました。
これは、歌を百首まとめて詠むものです。
 
百人一首のように百人が一首ずつ詠むことも、
数人で百首詠むことも、
一人で百首詠むこともありました。
 
「恵慶百首」や「重之百首」など、多くの歌人が
「百首歌」を創りました。

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47.恵慶法師(えぎょうほうし)


平の兼盛(40番)や源重之(48番)と友人で、
河原院の当時の持ち主である安法法師とも交流がありました。
花山天皇時の歌壇の中心人物です。
 
河原の院は、源融(みなもとのとおる)の贅を凝らした邸宅でした。
源氏物語の光源氏の六条院のモデルになったお屋敷です。

 
しかし、融の死後に荒廃し、融の霊が出ると噂されるほど
寒々しい廃墟と化しました。
 
いつしかそこに、融の子孫が住むようになり、
当時は曾孫の安法法師が、暮らしていたのです。
 
この歌は、その河原院で開かれた歌会で詠んだ歌です。
歌人たちがこのように集まって、
同じ題で詠み合った歌を「題詠歌」といいます。

 

八重桜 しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり

 

【覚え方】八重桜の人

やえむぐらが生い茂るようなこのさびしい屋敷に、人の姿はなくったって秋はちゃんと来てくれているんですね。

 
現代では、秋という季節は、物悲しい黄昏のイメージがあります。
このイメージは、すでにこの頃には作られていました。
 
あの河原院がこのような寂しい屋敷になるというのは、
もののあはれを感じますね。
 
源融がいたころは、池に海水を運ばせて塩を焼き、
季節ごとに豪華な宴を催したという御殿です。
在原業平も招かれて歌を詠んだと「大鏡」にあります。

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48.源重之(みなもとのしげゆき)

源重之は、清和天皇の曾孫で三十六歌仙の一人です。
冷泉天皇の東宮(皇太子)時代の教育係(帯刀先生)でした。
その後、国司として全国各地に赴いています。
藤原実方(51番)が陸奥へ赴任するとき、一緒に行きました。
 
この歌は、先に書いた
「百首歌」の「重之百首」の中の恋の歌です。

 
風をいたみ 岩うつ浪の あのれのみ
くだえてものを 思ふ頃かな

【覚え方】風をくだけ

風があまりに激しくて、岩にぶつかる波がくだけて散るように、あの人の心は岩のように固く、私の心だけ粉々に砕けているのです。

 
恋の歌ですが、非常に力強い男性らしい雰囲気の一首ですね。
お相手の姫君は、相当頑ななようです。
歌の内容からして、相手にされなかったのでしょう。
 
「岩にぶつかる波がくだける」ほどと、
激情を印象強く表現しています。

 
 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

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