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百人一首45番の藤原伊伊(これただ)は、

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藤原忠平(26番)の孫です。
息子は藤原義孝(50番)です。
 
忠平は「貞信公」、伊伊は「謙徳公」という名称で
百人一首に載っています。
これらの呼び名は、死後に送られた尊称です。
 
藤原忠平は左大臣になり、
伊伊は孫が花山天皇になったため
摂政太政大臣になりました。
 
どちらも才色兼備のエリートで、
政治より和歌など文化の発展に貢献します。
 
息子の義孝も、美男で有名でした。
そういう血筋だったのでしょう。

謙徳公=藤原伊伊(これただ)

姉が村上天皇の妻となり、
孫が天皇となった権力者です。
 
その上、容姿、才能も優れていたという
申し分ない平安貴公子です。
 
和歌の才能にも恵まれ、
「梨壺の五人」を監督し、
後選集の編纂に関わりました。

哀れとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな

【覚え方】哀れな身

私のことをかわいそうにと、言ってくれる人なんて、誰も思い浮かばない。私はあなたに恋い焦がれながら、ひとりむなしく死んでゆくんだ。

先にも書いたように、
伊伊は地位も容姿も才能も持ち合わせた貴公子でした。
 
そのイケメン貴公子がこの歌ですよ。
これ、狙ってますよね。( ̄▽ ̄)
 
狙ってなかったとしたら、
天性の母性くすぐるタイプでしょう。
 
モテモテだったのは、よくわかりました。
この歌はそのまんま、解説いらずです。(笑)

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曽禰好忠(そねのよしただ)

曽禰好忠(そねのよしただ)は、
花山天皇のころの下級官吏でした。
生没年不詳です。
 
普段の言葉遣いで歌を読んだり、
万葉集を題材にして派手な歌を詠んだりと、
斬新な歌が目立ちます。
 
それゆえ、同時代人からは
歌の才能は、認められていましたが、
偏屈で異端扱いをされていたようです。

由良の戸を わたる舟人 かぢをたえ
行方も知らぬ 恋の道かな

【覚え方】由良の行方

由良の海峡を渡る舟人が、舵を失ってしまって漂うように、この先どうなるのかさっぱりわからない、私の恋の道よ。

「新古今和歌集」からの選歌です。
 
新古今集の歌らしく
縁語や序詞を多用し技巧に凝らした歌
となっています。
 
万葉集にもある紀州の「由良の戸」と
丹後の「由良川」を結び付けています。
「「門(と)」「渡る」「舟人」「かぢ」「道」
など縁語がたくさん・・・。
 
変わり者だったかもしれませんが、
定家の好みの歌らしいです。
 
万葉集・古今集・新古今集の特徴は
大切ですよ♪

 


 

 
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