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平安時代中期になると、
国風文化が発展して「和歌」が盛んになります。
宮中でも天皇主催の歌合せが多く催されました。

 
歌合は、左右2チームに分かれて同じお題で「歌」を読み、
どちらの歌が優れているか判定を競うもの
です。
「百人一首」40番の平兼盛と41番の壬生忠見の歌は、
村上天皇主催の「天徳内裏歌合」で対戦した歌
です。
 
勝者は平兼家に決まりましたが、
どちらも素晴らしい歌で、
なかなか判定が決まらなかったことでも
知られています。
判者の藤原実頼は決断できず、
村上天皇の意見を窺って決まったといわれます。

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「歌合」の対戦相手・平兼盛の「忍ぶ恋」の歌はこちらです。↓

 

壬生忠見(みぶのただみ)


壬生忠見は壬生忠岑(30番)の息子です。
身分の低い役人でしたが、
歌の才があり多くの歌合せに出席しています。
三十六歌仙の一人です。
 
この歌と40番の歌は、
歌合せでどちらも甲乙つけがたく、
僅差で負けてしまった壬生忠岑は
失望のあまり拒食症になってしまったと
噂されるほどでした。
それほどの「名歌」対決だったと
いうことでしょう。

 
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか

 
【覚え方】恋す人知れず

あいつは恋をしている、といううわさがもう早くも立ってしまった。誰にも知られずにあなたのことをそっと思い始めたばかりだというのに

「恋すてふ」は「恋している」という意味、
「わが名はまだき」の「名」は世間の噂や評判のことです。
「思ひそめ」は、「恋はまだはじまったばかり」という意味です。
倒置法を用いています。

 
当時は、人に知られてしまった恋は
成就しない
という迷信がありました。
噂になってしまったというところから、
悲恋の予感も含む繊細な恋心が伝わります。

 

父・「壬生忠岑」の説明はこちらにあります♪↓

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清原元輔(きよはらのもとすけ)


 

清原元輔は清少納言(62番)の父で
清原の深養父(36番)の孫
です。
三十六歌仙。
「梨壺の五人」の一人として知られています。

 
「梨壺の五人」とは、
951年に梨の木が植えられた「梨壺」の和歌所で、
後選集の選集と万葉集の付訓の仕事をした五人のこと
です。

 
この歌は「本歌取り」の歌で、
本歌はこちらです。

<君をおきて あだし心を わが待たば 末の松山 波をもこえぬ>
(君のほかに好きな人ができるなんてありえない)

 

契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 浪越さじとは

【覚え方】契りの末

誓いましたよね。お互いに涙で濡れた袖を絞りながら、末の松山を波が超えることは決してないように、私たちの心もかわらないって

倒置法を用いた歌です。
「袖をしぼる」というのは
涙を拭いた袖がしぼらねばならないほど
ぐっしょり濡れたという意味です。
 
この頃の人は、大げさな表現が好きだったのでしょうか。
それとも単に流行っていたのでしょうか。
永遠の愛を誓ったのに、女性が心変わりしてしまったのですね。
よくあることでしょうけれど、情熱と強い執着心が伝わります。

 
清原深養父の歌はこちらです。↓

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

「百人一首」まとめ記事~全首の意味・覚え方とおすすめ参考文献!


 

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