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次に紹介する二人は、晩年、不運に見舞われた人たちです。
今も昔も「宮仕え」は、いろいろ厳しいのでしょう。

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人間関係は、こじれると人生を左右する事態を招きかねません。
人の恨みや妬みは、いつの時代も怖ろしいものです。

大江千里(おおえのちさと)

大江千里は漢学者・大江音人(おんど)の子で、
在原行平・業平の甥です。
大江千里も漢学者で、漢詩を題材にして和歌をつくるのが得意です。

この「百人一首」におさめられた歌は、白居易の「燕子桜(えんしろう)」という漢文の詩をふまえたもの、いわゆる「本歌取り」の手法を用いた歌です。

「燕子桜中霜月夜 秋来只為一人長」
(燕子桜の中、霜が降りる月の夜
秋が来て、ただ私ひとりのためだけに夜は長い)
「白楽天(=白居易)」「白氏文集(はくしもんじゅう)」

 
 

月見れば千々(ちぢ)にものこそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど


 
【覚え方】月見るわが身ひとつ
 

月を見上げるといろいろな思いがあふれて悲しくなるよ。私一人のための秋ではないというのにね。

 

是貞親王(宇多天皇の兄)の歌合によばれたときに詠んだ歌です。
自分が感じる秋の物悲しさを、白居易の切ない詩と融合させています。

 

また、「千々(ちぢ)=たくさん」「ひとつ」を対比させ、
秋という壮大な自然とちっぽけな一人の人間のスケールの違いを際立たせています。

「本歌取り」は元ネタの詩や和歌へのオマージュでもあります。
唐の詩人・白居易(白楽天)は、平安文学に大きな影響を与えた人なのでした。

 
 

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菅家(かんけ)=菅原道真(すがわらのみちざね)


菅原道真は宇多天皇と醍醐天皇に仕えました。
「菅原家」のルーツは、豪族の「土師(はじ)氏」で母は「伴氏」=「大伴家」の出身です。
中流の貴族で学問(儒家)の家系でした。

「菅家」というのは菅原道真の尊称です。

宇多天皇の信厚く、異例の出世を遂げ「右大臣にまでのぼりつめますが、「左大臣」の藤原時平ら藤原一門の追い落としに遭い、大宰府に左遷されます。
 
政治家としては「遣唐使廃止」を決行した人として知られています。
遣唐使の廃止は、平安時代の「国風文化」の発展をもたらします。

 
この歌は、宇多天皇の行幸(鷹狩)のお供で「奈良」に行ったときに詠んだものです。
 
 

このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山(たむけやま)
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに


 

【覚え方】この紅葉

この度の旅はとても急な事だったので、幣も持たずにでかけてしまいました。代わりにこの美しい紅葉の錦を手向けて折りましょう。
どうぞ神様のお心のままにお受け取りください。

「手向山」は京都から奈良に抜ける奈良山の峠のことです。
「度(たび)」と「旅」が掛詞です。
 
当時は旅の途中、峠を通るときに、そこにいる神様(道祖神)に「色とりどりの木綿や錦、紙を細かく切ったもの」=「幣(ぬさ)」をお供えしました。
 
予定外の行程で「幣」を用意していなかったところ、「代わりにこの美しい紅葉の錦を捧げましょう」と機転を利かせて詠んだのです。

この歌を聞いた宇多天皇は、大変満足し絶賛しました。
 

 
菅原道真は、日本三大怨霊の1人として恐れられています。
道真公が失意の死を遂げた後、京では災厄が立て続けに起こり、道真公の怨念の祟りといわれました。
その「祟り」は、結構怖いです。こちらの記事にあるので合わせてどうぞ♪↓


 

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

「百人一首」まとめ記事~全首の意味・覚え方とおすすめ参考文献!


 

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