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次は「平安きってのプレイボーイ」在原業平です。
源融(みなもとのとおる)や良峯宗貞(よしみねのむねさだ)=僧正遍照
上回る風流人を紹介します。

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「三代実録」に「体貌閑麗 放縦不拘 略無才学 善作倭歌」
と評されている人です。
この四字熟語(漢文)の意味をとらえてみてください。
業平の人となりを物語っています。

18番は藤原敏行。
宮中は主要ポストが「藤原さん」だらけになってくるので、藤原姓の人は、区別がしにくいですね。

この人は後述しますが、とにかく「書がうまい!」と言われる人です。
当時、書の達人は重宝されました。
妻は在原業平の義理の妹です。(また親戚)

17.在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

在原業平は平安時代きっての美男子で恋多き人でした。
生き方も歌も、色彩豊かで煌びやかな人です。
政治にあまり興味がなく学才もいまいち(漢学が苦手)だけど、歌の才能は誰もが認めるというイメージがありますが、実は、鷹狩の名手で武人です。

政治の世界では、血統はすごくよいのですが、
父が「薬子の変」でいろいろあって(日本史の話になるので割愛)、「在原」という臣下に下りました。
平城天皇(父方)の孫で桓武天皇(母方)の曽孫にあたります。

六歌仙の筆頭、三六歌仙の一人で、「古今集」に30首、「勅撰和歌集」に86首、選ばれています。

歌の仲間に小野小町(9番)文屋康秀(22番)僧正遍照(12番)などがいます。
兄が在原行平(16番)甥は大江千里(23番)です。

華麗な歌のテクニックと機知にとんだ話術で人気があり、「伊勢物語」の主人公のモデルにもなりました。
後に清和天皇の后となる藤原高子(たかいこ)とのロマンスは、「伊勢物語」のエピソードのひとつになっています。

高子とは破局したように見えますが、
後に、業平は高子(二条の后)の息子・貞昭親王(さだあきらしんのう)の
教育係になっています。
貞昭親王は、のちの陽成院(13番)です。

結局、高子とはずっと仲良しだったんですね。
どちらも奔放な性格で、気が合ったのでしょう。
高子は兄の藤原基経を押し切って、業平を「蔵人頭」にも任命しています。


ちはやぶる 神代(かみよ)も聞かず 竜田川
から紅(くれない)に 水くくるとは

【覚え方】 ちはやぶる からくれない

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遠い昔の神様の時代にも聞いたことがなかったでしょう。
このように竜田川の水を唐紅の色にくくり染にする光景なんて。

この歌は、業平が二条の后(高子)の部屋の屏風に描かれた絵を見て詠んだ「屏風歌」です。

竜田川の流れに舞い落ちる紅葉の美しさを、鮮やかな「唐紅(からくれない)」と表現しています。強烈な色彩を感じる歌です。

「ちはやぶる」は「神」にかかる「枕詞」です。
さりげなく「擬人法」「倒置法」などを用いた技巧的な歌でもあります。

18.藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)


藤原敏行は、宇多天皇に仕えました。
三十六歌仙の一人です。
書の名手としても知られています。
あの小野道風(おののとうふう)が「空海と並ぶほど」と誉めたという伝説が残っています。

この歌は、敏行が「歌合(うたあわせ)」で詠んだものです。
当時、歌人を左右2チームに分けて、同じ「お題」で詠んだ短歌を組み合わせ、判定して優劣を競うゲームが流行りました。
それが「歌合」です。

住の江の 岸による浪 よるさえや
夢の通い路 人目よくらむ

【覚え方】 住之江の夢

「恋忘れの花」が咲くこの住ノ江の海岸。
そこへ打ち寄せる波のようになんども私のところへ通ってくださったのに、この頃、昼間だけでなく夜もいらっしゃらないのね。
夢の中の私へと続く道を歩むときまでも、人目を避けていらっしゃるの?

感覚的にちょっと最後がわかりにくい歌ですね。
「人目よくらむ」の「人目」は他人の目、「よく」は避けるという意味の動詞の活用形、「らむ」は推量の助動詞の活用形です。
それで「人目を避けているのだろう」という意味になります

この歌は女性目線で詠んだ歌です。
歌が恋文や自身の心情を伝える手段であっただけでなく、様々なシチュエーションを想像して詠む風流な遊びとして
成り立っていたとわかります。

 
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