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光孝天皇は、晩年になって政事権力に翻弄され、
55歳に天皇になった人です。
その3年後には、亡くなりました。

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中納言行平は在原業平の異母兄です。
父の阿保親王が「薬子(くすこ)の変」に関わり大宰府に左遷されたとき、その地の娘と知り合って生まれたのが行平です。
都(みやこ)生まれの業平とは、母の身分が異なりますし、あまり接点がなかったのかもしれません。

15.光孝天皇(こうこうてんのう)


仁明天皇の第三皇子です。
陽成天皇(13番)から引き継ぎますが、ここから仁明天皇の嫡子の血統を離れることになります。
僧正遍照(12番)とは幼馴染の友人で、源宗干(むねゆき)(28番)は孫になります。

君がため 春の野に出(い)でて 若菜つむ
わが衣手に 雪は降りつつ

【覚え方】 君がため(に)雪はふる

あなたのために春の野に出て若菜を摘みました。
私の袖にはふわふわと早春の雪が降り続いていましたよ。

ふんわりとした優しい雰囲気の歌です。
前半の「春」と後半の「冬」という二つの季節のコントラストが美しいです。

「若菜」とは花束にするようなものではなく食用の「春の七草」のことです。
新春に「若菜」を食べると、邪気が払え病気が退散すると思われていました。
まだ寒い時期に、愛しい人のために草を摘んでいる歌なのです。

在位中、政治のことはほとんと摂政の藤原基経に任せていたそうですが、
この歌を読むと、本当に政治に向いていない人だったのではないかなと思えます。

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中納言行平=在原行平(ありわらのゆきひら)


阿保親王の子で、父の代からいろいろ政変に巻き込まれています。
(「薬子の変」から語ると長くなるので割愛。)
文徳天皇の代に自らも失態をおかし、一時期須磨に流されたこともありました。
異母兄に在原業平(17番)、甥に大江千里(23番)がいます。

この歌は因幡守(いなばのかみ)の任が下り、赴任地(鳥取県)へ行く前の、
送別の宴で詠んだ歌です。

立ち別れ いなばの山の 嶺に生(お)ふる
まつとし聞かば 今帰り来む

【覚え方】 立ち別れる松と

あなたたちとお別れして因幡へ行くが、因幡の山の峰に生えている「松」のようにあなたが「待つ」と聞いたなら、私はすぐにでも帰ってくるよ。

遠く離れた地に赴任する際の、京の都や親しい人へ別れを惜しむ切ない歌です。
この時代から単身赴任ってあったのですね。
(お供を引き連れていくから単身ではないけれど。)

「因幡(いなば)」と「往なば」、「松」と「待つ」が掛詞になっています。
「別れの歌」としてよく引用される有名な歌です。

 
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