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平安時代に入ると、宮中で歌会があり、恋文としての歌のやり取りが盛んになります。
「百人一首」の歌もこのあたりから本格的に平安初期に活躍した歌人たちの歌になっていきます。

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9.小野小町(おののこまち)


小野小町は平安時代初期の女流歌人。
絶世の美女として数々の伝説を残しています。

この歌は、百人一首の中でも1、2をあらそう有名な一首です。
しかし、実際の小町本人についてはあまり分かっていません。仁明天皇、文徳天皇のころ、宮廷に仕えた女官だといわれています。
また、小野篁(11番)の孫という説もあります。
生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人です。
歌仲間に在原業平(17番僧正遍照(12番)文屋康秀(22番)がいます。

花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

【覚え方】 花のわが身よ

桜の色は長雨に打たれて変わってしまいました。見る人もいないままいつの間にか。(まるでこの私の美貌が衰えてしまったように。)
私がこの世の中について思いめぐらし、ぼんやりと眺めているあいだに……。

歌の中など古典で表される「花」は「桜」を指します。
この「桜の花」の美しさに女性の美を暗示させた歌です。
世の無常観が漂う、すーっ心の中に入ってくる歌ですが、
実は幾重にも掛詞を用い下の句は倒置法になっている、非常に技巧的な歌でもあります。

「追記」

選者・藤原定家はこの歌を「幽玄様」の歌としています。
「幽玄」とは日本文化の基層となる理念のひとつです。
「幽玄様」とはただ見えている具象を表現するのではなく、その奥にある深い情緒や余情をも表現する歌体のことです。
定家のいう「幽玄」というのが理解しにくいのですが、彼女が非常に優れた歌人であったというのは、間違いないですね。

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10.蝉丸(せみまる)

蝉丸盲目の琵琶の名人といわれますが、はっきりしたことはわかっていません。生没年不詳です。
宇多天皇の皇子に仕えていたとか醍醐天皇の子という説もあります。
僧正遍照(12番)に琴を教えた人ともいわれます。謎だらけですね。

これやこの 行(ゆ)くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関

【覚え方】 これや知る

これがあの、旅立って行く人も帰ってきた人も、見知った人も知らない人も
出会って別れていくという大坂の関なんだなあ!

逢坂の関は、京の都周辺にあった関所の一つで、現在の滋賀県大津市の南にある逢坂山にありました。
蝉丸はこの関の近くに住んでいたのか、はたまたこの場所が好きでよく来ていたのか、状況も謎です。
関所を通る一時に、出会いまた分かれる人々の往来の様子が、人生の中での出会いと別れに通じる切なさを感じます。

「追記」

蝉丸は「百人一首」の絵札では、琵琶を持った坊主のように見えないこともなく「坊主めくり」をするときの取り扱いに困るので、「蝉丸ルール」というのがある地方もあります。ジョーカーのような役割でしょうか。

そのルールはこちらに。↓

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

「百人一首」まとめ記事~全首の意味・覚え方とおすすめ参考文献!


 

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