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こんにちは、このかです♪
 
『奥の細道』の旅は、松尾芭蕉と、門人の河合曾良(かわいそら)の2人旅です。
 
その曾良さん、実は、ゴールの「大垣」まで同行できず、途中リタイアしていたんですよ。
 
お腹の病気になってしまったそうです。。。。
 
でも、完治しました。よかったよかった。
 
今回は、曾良と途中で別れることになった場所の芭蕉と曾良の俳句を紹介します。

 

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河合曾良は有能な秘書だったのです

 

 
芭蕉・曾良コンビの旅は、江戸深川を出発し、そこから東北、北陸を回って大垣で終了します。
 
江戸からずっと同行していた曾良は、旅の後半、山中温泉で、体調不良のためリタイアしてしまうのです。
 
もうちょっとだったのにね~。
 
3月に出発してから約120日間、共にに旅したのでした。約4カ月間ですね。
 
そんな曾良は、芭蕉の旅のナビゲーターで、旅の経費の計算など、実務的なことのほぼすべてを担当していた、有能な秘書さんだったのです。
 
彼は、そうとう几帳面な性格だったようで、江戸にいた頃から、芭蕉庵の近くに住んで、芭蕉の秘書的な仕事をしていました。
 
芭蕉に、信頼されていたのでしょうね。
 
また、彼は、地理学や神道に詳しかったので、訪れる場所の神社仏閣、西行や能因の歌枕の地など、いろいろ調べて準備をしていました。
 
旅をしながら、「曾良旅日記」を書いていますが、出発前にも「備忘録」を作っています。持ち物リストとか予定地のメモとか、すごく詳しく書いてそう・・・
下準備も、バッチリですね。
 
芭蕉の旅は、俳諧を東北地方に定着させるために、俳諧を教えたり、門人を増やしたりするものだったので、忙しかったのです。
 
曾良が同行してくれて、すごく助かったでしょう。
 

 

山中温泉での2人の別れ

 

 
金沢あたりから体調が良くなかった曾良は、ついに、ここ山中で、病にふせってしまいます。芭蕉の旅は、俳諧の指導などで、忙しく歩き回る旅です。
 
これ以上同行すると足手まといになると考えた曾良は、伊勢国の親戚のところへ行って養生するために、一足先に旅立つことになりました。
 
そのときに詠んだ曾良の俳句がこちらです。
 
行き行きて 伏れふすとも 萩の原
  
宗匠を残して一人先に行く私は、病の身ゆえ途中で行き倒れるかもしれません。しかし、今の季節に美しく咲く萩の原で倒れるならば、それもまた本望です。
 
そして、それを受けた芭蕉の俳句がこちらです。
 
今日よりや 書付けさん 笠の露
 
今日からは、笠に書きつけた「同行二人」の文字をかき消そう、笠に降りた露を使って。その露は、私の落とした涙だから。。。
 
芭蕉さん、相当へこんでますよ。
かなりショックで悲しかったのが、伝わりますね。
 
旅の笠に書く「同行二人」というのは、本来「仏様と私」という意味なのです。
芭蕉は、それを「曾良と私」と置き換えているんです。
 
曾良に対する、芭蕉の愛情と感謝の気持ちが込められた一句なのでした。

 
 

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『曾良旅日記』は『奥の細道』のガイドブックなる

 

 
「曾良旅日記」には、これから先の芭蕉の行程は、もちろん記されていません。
 
でも、この曾良の書いた『曾良旅日記』は、この旅のガイドブックとして、すごく大事なものなのです。
 
『奥の細道』は、芭蕉が江戸に戻ってから、旅の記録を紀行文という形に創り上げた作品です。
 
つまり、誇張やフィクションを含む「作品」なのです。
ですから、旅の日程や行った場所を前後させたりする、「創作=ウソ」が見られるのです。
 
その作品を仕上げるために、芭蕉は、曾良にも旅日記を書いてもらっていたのでした。彼の書いた旅日記は、たいへん役に立ったでしょう。
 
『奥の細道』が完成するまで、曾良は、すごく貢献していると思います。
こういう有能な補佐役がいたというのが、芭蕉の人徳なのかもしれません。

 
 

芭蕉と曾良・ゴールの「大垣」で再開する

 

 
その後、俳諧を作ったり広めたりしながら、芭蕉は『奥の細道』終焉の地「大垣」に、無事到着します。
 
大垣では、多くの友人や知人が、出迎えに来てくれました。
そして、その中に、元気になった曾良の姿もあったのです。
 
 
2人は、大垣で再会できたのでした。
 
松尾芭蕉は、1694年10月に、旅先の大坂で病に倒れ、亡くなります。
 
その年の5月、芭蕉が伊賀上野へ帰郷するとき、曾良が箱根まで同行して見送りました。
それが、師弟の最期の別れになりました。
 
芭蕉は、帰郷した後、再び旅に出て、大坂で病に倒れたのです。
 
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
 
これが、芭蕉の生前最後の俳句です。
芭蕉は、この句の前書きに「病中吟」と記しました。
 
突然、病に倒れたけれど、彼の旅への思い、俳諧への思いは、いまだとどまることなく、駆け回っていたのです。
 
まだまだ創りたいという、意欲が感じられる一句ですね。
 

 
 

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