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先日、久しぶりに宇治へ行ってきました。
 
京都市内もよいけれど、宇治もこじんまりして素敵なところですよ。
 
 
宇治のよさは、洛中とは違う「侘び寂び」を感じる静かなところです。
以前、冬の平日に行ったときは、ここが観光地?というほど人が少なくて、宇治上神社や宇治川添いを、のんびり静かに歩きました。
 
 
「侘び寂び」という言葉は、日本人が感じる感覚的なものですが、言葉で説明するのはとても難しいですね。今では「和風の古い物」に対して使う言葉のようになっています。
 
 
それはそれでよいのかもしれません。言葉というのは変わっていくものですから。
 
 
「侘び寂び」の大成者は、茶人の千利休といわれます。でも、万葉の時代から「侘び寂び」という言葉はあったのですよ。
 
 
万葉集の歌人と千利休のいう「侘び寂び」は、同じものではないでしょう。
 
 
日本人の美意識の1つといわれるこの言葉は、実に奥深いものなのです。
 
 
「侘び(わび)」と「寂び(さび)」は、もともと別の物でした。
「侘び」は「侘び茶」という言葉もあるように、今でも茶道で使われることが多いです。
 
 
では、「寂び」はどういうものなのでしょう。
 
 
俳人松尾芭蕉の根本精神は、この「寂びの精神」だといわれます。
 
 
「侘び」と「寂び」はまとめて使われることが多いですが、異なるものなのです。
今回は、「侘び」「寂び」という言葉の意味を、簡単にお伝えします。

 
 

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「侘び」~花は野にあるように

 

 
私たちは、静寂な古いお寺などに行ったとき「侘び寂び」を感じると言います。
 
普段は「侘び」と「寂び」の違いを、特に気にすることなく一緒に使いますね。
 
 
でも、「侘び」「寂び」は、ニュアンスの異なるものなのです。
 
辞書的に言うと、「侘び」は、不完全な物、不足しているものから感じられる美しさのこと。
 
 
昔から日本人は人工的に完璧に作り込まれたものよりも「自然のままのもの」、「不完全なもの」を好む傾向がありました。

 
 

(1)村田珠光の「わび茶」

 

 
「侘び」という言葉が、茶道で使われるようになったのは室町時代です。
 
 
この頃の茶道の茶会は、高価で派手な唐物(中国製)の茶器を使うとても豪華なものだったそうです。
 
 
ところが、そんな荘厳な茶会を否定する人が表れました。
 
 
それが、村田珠光(じゅこう)という茶人です。彼は、日本昔話のとんちで有名な大徳寺の「一休さん」に学んだ禅僧でした。
 
 
彼は、日本の茶道具を使った点茶法を生み出し、そこに「禅」の質素な精神を加えたのです。それが、「侘び茶」の始まりです。(「侘び茶」という言葉が使われたのは江戸時代に入ってからです。)
 
 
村田珠光の考える「侘び」を表現するこんな言葉があります。
 
 
「雲ひとつかからずに輝く月よりも、雲間に隠れた月のほうが味わいがある」
 
 
この2つの月の表現、違いがよくわかりますね。
 
 
「不完全な美の追求」のニュアンスが、なんとなく伝わるでしょう。
 
 
あなたは、どちらの月がお好みですか?
 
 
私はギラギラ輝く月は怖いので、雲間に隠れてちらちら見える月の風情に一票です。

 
 

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(2)千利休が「侘び茶」を確立

 

 
少し時代が下り、安土桃山時代(戦国時代)に入ると、茶道の大成者として超有名な千利休が登場します。利休は、珠光の理念を茶器、作法、空間すべてを含む「茶道」の中に確立させた茶人です。
 
 
茶室には書(掛け軸)生け花、器という大事な要素があります。茶道の生け花は、とても簡素ないけ方です。
 
 
「花は野にあるように」
これが、茶道の花の生け方を表す言葉です。
 
 
けっしてゴテ飾り付けず、「自然のまま」に咲いているように生けることを目指します。人工的に「自然を演出する」という試みでもあるのです。
 
 
私たち日本人は人の手で完璧に作り上げられたものよりも、ありのままそこにあるもの、不完全でも自然の中で作られた美しいもののほうが好ましいと感じるのでしょう。
 
 
私はきれいに整いすぎた空間、だだっ広くて荘厳な空間は、気後れして落ち着きません。観光でさらっと訪れるぐらいなら、すごいなーっという感想ですが、そこで暮らしたいとは思えないのです。
 
 
それより、厳選されたモノだけ置かれた清潔な古い和室のほうが、よっぽどほっとします。
 
 
そこにあるのは、たった一輪の季節の花と、一息できるお茶。それだけで十分です。
 
 
「侘び」という言葉は、そんな日本人の落ち着いた心を象徴する言葉でもあると思います。

 
 

「寂び」

 
 
 
「寂び」は、動詞「さぶ」の名詞形です。「さぶ」には、「生気、活気が失われる」「時を経てもとの姿が劣化する、おとろえる」という意味があります。
 
時を経たものは、劣化しながらも独特の美しさを持ちます。骨董品やアンティークの良さはこれにあたります。
 
そして、次第に「寂び」は「人のいない静寂な状態」を指すようになりました。ポイントは、「人のいない静かでさびれた空間」という点です。
 
 
ここで先程述べたの松尾芭蕉について、考えてみます。松尾芭蕉の俳句には、このポイントを押さえたものが多いのです。
 
 
「夏草や つわものどもが 夢のあと」
「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
 
 
これらの名句は、すべて「人気のない静かで寂しい空間」で詠んでいます。
 
 
その空間にいるのは、観察者の芭蕉一人です。
 
 
だからこそ、その静寂を破る蝉の声や水の音が際立つのです。そうしてはじめて、単なる静けさが「寂び」という境地に達するのでした。
 
 
つまり、「寂び」とは、静かさの中にたった一人の身を置いて始めて成り立つものなのです。
 
アンティークな古い味わいのあるものに囲まれた一人が好きな内向型にぴったりの空間ですね。やっぱり、「わびさび」最高です。

 
 

おわりに


日本人の美意識「侘び寂び」は、ただ質素で閑散としているだけではないと分かりました。
 
 
もっともっと情感のある「本質的な美しさ」をさす言葉なのです。
 
 
自然のままありのままのものを愛する心、人気のない静寂の中で古びたものの本質的な価値を愛でる心、落ち着きがあって素晴らしいと思います。
 
 
昔の日本人はこんな風に過ごすことが風流と考えていたのに、なぜ、今はみんなでパーッと騒ごう!というノリが主流なのでしょう。これも、戦後の「精神の欧米化」によるのでしょうか。私は、そういうのは疲れます。
 
 
では、最後に、「侘び寂び」について、まとめておきます。
 
 
★「わびさび」とは、日本人が持つ美意識の1つである
 
★「わびさび」の「わび」と「さび」は、もともと別のもの
 
★「わび」とは「不足しているもの、不完全な物から感じられる美」のこと
 
★「さび」とは「静寂の中にある古びたものから感じられる美」のこと

 
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