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こんにちは、このかです。
 
川端康成の代表作といえば、「雪国」と「伊豆の踊子」
 
どちらも名作ですが、川端作品を初めて読む人に、私がおススメしたいのは、「伊豆の踊子」です。
 
ノーベル文学賞受賞作家なので、読んでみたいけど取っつきにくいなあと思っているあなたに、おススメの1冊なのです。
 
なぜかというと、「伊豆の踊子」は、「雪国」よりもずっと短い作品で、かつ、川端文学の抒情的な特徴が、よく表れている作品だからです。
 
また、「伊豆」の温泉宿の風情が感じられて、近くに住んでいたら、すぐにでも旅行に行きたくなるほどです。
 
この作品が映画化されたとき、その舞台として使われた温泉旅館があるのですよ。その温泉宿が、すごくいい雰囲気なんです。

 
 
「伊豆の踊子」は、川端康成の出世作で、青春文学の最高傑作ともいわれます。
 
今回は、そのあらすじを、お伝えしていきます。

 

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「伊豆の踊子」簡単なあらすじ

 
この話を、すごーく簡単に説明すると、こんな感じです。
 
旅の途中にたまたま見かけた、旅芸人一座の中に、かわいい「踊子」がいて、主人公は彼女にほんのりとした恋心を抱いた。
 
一座と同行するうちに、「私」は自分の孤独なゆがんだ心が癒されていくのを感じる。娘盛りだと思っていた踊子は、まだ14歳の子供で、その美しさ、純粋さに胸を打たれる「私」だった。
 
旅費がなく、別れのときがきて、「私」は、東京へ帰ることになった。

 

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登場人物

 
主な登場人物は、主人公の「私」と旅芸人一座5人の計6人です。
 
●「私」・・・主人公、東京の学生
●「踊子」・・・薫(14歳の少女)
●「栄吉」・・・踊子・薫の「兄」
●「千代子」・・・栄吉の妻(19歳)
●「四十女」・・・千代子の母
●「百合子」・・・大島生まれの雇いの娘(17歳)

 

伊豆の踊子」のあらすじ


 
伊豆の踊子は、40ページ弱の短編小説です。
 
7つの章に分かれていますが、ずっと伊豆の温泉地を旅しているので、つながっています。
 
主人公「私」の一人称表記なので、とっても読みやすいですよ。
 
私は、伊豆には行ったことがないのですが、伊豆の温泉やこの辺りの地理に詳しい人は、もっと楽しめると思います。

 

(1)「私」が伊豆で旅芸人と出会う

 
自分のことを孤児根性があり性格がゆがんでいると思っている孤独を抱える主人公の「私」が、1人で伊豆を旅していました。
 
旅の途中、修繕時と湯ヶ島で、とある旅芸人一座を見て、その中の「踊子」が気になり、彼らの後を追うことにしました。
 
「踊子」は「私」には17歳ぐらいに見え、古風な髪の結い方をし、卵型の凛々しい顔だちをしている一幅の絵のような娘でした。
 
天城峠に近づいたところで、大粒の雨が降りはじめ、近くの茶屋に入ったところで、「私」は旅芸人たちに追いつきます。
 
旅芸人の一座には「踊り子」の他に、40代の女が1人、若い女が2人と25~26歳の男が1人いました。
 
「踊子」が私に座布団を差し出してくれましたが、私は驚いて「ありがとう」という言葉も出ませんでした。
 
彼らより少し後で茶屋を出てから、「私」は旅芸人たちに再び追いつき、連れの男と話をしているうちに次第に彼と親しくなりました。
 
「私」は思い切って、下田まで一緒に旅をしたいと男に申し出ると、彼は喜んで同意してくれました。

 

(2)「踊子」のことが気になる「私」

 
やがて彼らが泊まる宿に着くと、「踊子」が「私」にお茶を入れてくれました。
 
「踊子」は私の前に座ると真っ赤になり手をぶるぶる震わせて、ひどくはにかんだので私は驚きました。
 
私は旅芸人たちと別の温泉宿に止まりましたが、夜になると外から太鼓の音が聞こえてきました。
 
旅芸人たちが料理屋に呼ばれていて、「踊子」が宴席で太鼓を打っているのだとわかると、私の胸はほおっと明るみました。
 
逆に、太鼓の音が止むと、たまらなく寂しい気持ちになりました。
 
やが てお座敷から追いかけっこをしているような音が聞こえてきましたが、それがピタッと静まり返りました。
 
「私」は、今夜「踊子」が誰かに汚されてしまうのではないかと、悩ましくて仕方がありませんでした。
 
(ここら辺の、青年の心の揺れ、恋心の描写が、すごく素敵で♪)

 

(3)旅芸人一座と同行し、「私」の心が癒されていく

 
翌朝、旅芸人の男と朝湯に入っていると、向かいの共同風呂から全裸の女が走り出してきました。「踊子」でした。
 
彼女は、手ぬぐいで体を隠すこともせず、無邪気そのものです。
 
私はこのときになって初めて、踊子がまだ子供なのだと気付きます。
大人っぽい装いをしていたので、17歳くらいだろうと勝手に思い込んでいたのです。
 
「私」は、朗らかな喜びで、ことことと笑い続けました。
 
旅を続けるうちに、旅芸人たちの胸にも、「私」の彼らに対する好奇心も軽蔑も含まない好意が、しみこんでいくように思えました。
 
なぜなら、当時、旅芸人は、軽蔑の対象となることが多かったからです。
ところどころの村の入り口に、「物乞い、旅芸人村に入るべからず。」という立札が立っていることから、旅芸人が一般人からどのような目で見られていたのか、よくわかります。
 
旅芸人の男と一緒に少し先を歩いていると、女たちが私を「いい人ね」と噂しているのが聞こえ、素直にありがたく感じるとともに、思わずまぶたの裏がかすかに痛みました。
 
自分の性根が孤児根性で歪んでいることがきっかけで、その憂鬱から逃れるために伊豆まで旅をしていたから、救われるような気持ちになったのでした。
 
彼らの暖かい雰囲気に、私の孤独な心は癒されていきました。

 

(4)「踊子」との別れ


 
旅を続けていくうちに私の旅費は底をつき、旅芸人たちに引き留められたけれど、帰らなければならなくなりました。
 
「踊子」が私に活動写真に連れて行ってほしいと言いましたが、同行するのは母親に許してもらえませんでした。
 
出立の前夜、窓から外を眺めていると、遠くから彼らの太鼓の音が聞こえてくるような気がして、「私」はわけもなく涙を流していました。
 
そして、出立の朝、旅芸人の男は、黒紋付の羽織で正装して「私」を見送りに来てくれましたが、女たちは昨夜寝たのが遅かったので、起きられないとのことでした。
 
しかし、船乗場に着くと、そこに「踊子」の姿がありました!
 
昨夜のままの彼女の化粧が、「私」を一層感情的にしました。
 
「私」が話しかけても何も言えずにうなずくだけの「踊子」の姿に、私は胸を打たれました。
 
帰りの船の中で、「私」の涙は、ぽろぽろ鞄に流れ、横に寝ていた少年に親切にされました。
 
「私」は、どんなに親切にされても、それを自然に受け入れられるような、美しい空虚な気持ちになっていました。
 
(孤独で自分は卑屈だと思っていた「私」が、この世界と折り合いをつけることができたのが、わかります。)

 

おわりに


 
文豪の作品は、あらすじだけ書くと、全然たいした内容じゃないんですね。
 
大切なのは、「文章」なのです。
 
「抒情的」「透明感」というキーワードで語られる川端康成の文章のよさを感じるには、やはり読んでいただくしかありません。
 
この小説の場合、青春小説の肝ともいえる「私」のゆれる恋心の描写が素晴らしいのですよ。
 
特に、「踊子」にだんだんと惹かれていく、そわそわと落ち着かない様子が、恋をした人ならきっとわかると思います。
 
そして、お別れのとき、来ないと思っていた踊子が、昨夜の化粧も落とさずに自分を見送りに来てくれたこと、まだ幼く寂しさを言葉にできず、「私」の言葉にうなづくことしかでいなかった「踊子」の純粋さに、ズキューンと胸を打たれ、別れを哀しむ「私」の気持ちが、すごく美しい文章でつづられています。
 
短い作品ですので、是非是非、ご一読を!

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