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後徳大寺左大臣=藤原実定は、平家が隆盛を誇る時代の左大臣です。
彼は、高級官吏としてだけでなく、詩歌や管絃などの才能もあり、文学・芸術にも造詣の深い人でした。
「源平の合戦」の後、鎌倉幕府が開かれる直前まで生きた人です。
権力の流れ、諸行無常を感じたでしょうか。
 
道因法師は、とにかく歌が好きで、歌で認められる欲の強かった人です。
純粋な承認欲求でしょうけど、ケチなことで噂になった説話もあります。
人間味があって、おもしろいですね。

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81.後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)

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後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)=藤原実定(さねただ)です。
藤原俊成(83番)は叔父、藤原定家(97番)は従兄弟にあたります。
 
「平治の乱」で勝利した平清盛が権勢を振るった時代に、左大臣を務めました。祖父の実能が「徳大寺左大臣」だったので、「後」をつけて区別しました。
詩歌のほか、今様・神楽・管絃の名手であり、蔵書家としても知られます。
 
この歌は、ホトトギスの最初の声を聴くために、何人かで夜通し待った会で詠んだ歌です。平安時代、貴族の間では、ホトトギスの最初の鳴き声、つまり「初音」を聴くのが、非常に風流なこととされていました。
 
「春」はウグイス、「夏」はホトトギスが季節の代表の鳥とされました。
ホトトギスは「夏」の始まりを告げる鳥で、山鳥の中で、朝一番早く鳴くといわれます。
そのホトトギスにちなんだ歌です。

 

ほととぎす 鳴きるつる方を 眺むれば
ただ有明の 月ぞ残れる

 

 
【覚え方】ほととぎすただ

ホトトギスが鳴いたと思ってそちらを眺めてみると、鳥の姿はなく、ただ有明の月が残っているだけでしたよ。

 

「鳴きつる方」の「つる」は完了の助動詞で「~した」と訳します。「鳴いた方角」という意味になります。
「つ」は意識的に行う動作につき、「ぬ」は自然な動作を表すときに用います。
 
「月ぞ残れる」の「ぞ」は強調の語で、係り結びの法則になります。
 
ホトトギスの(初音)の余韻を感じながら、姿を見られなくて残念だけれど、まあいいかという気持ちが伝わります。
 
夏の夜明けの美しい情景を詠んだ歌ですね。

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82.道因法師(どういんほうし)


 
俗名は藤原敦頼です。
右馬助という馬に関する仕事をしていました。
非常に長生きをした人です。
80歳で出家しますが、それまで毎月、大阪の住吉大社に「和歌がうまくなりますように」と詣でました。
歌を愛し、歌に執着した人です。
 
和歌に執着するあまり、死後に『千載和歌集』選者・藤原俊成の夢枕に立ち、「私の歌をこんなにたくさん選んでくれてありがとう」と泣きながらお礼を言ったというエピソードが残っています。『千載和歌集』には、道因法師の歌が20首収めれています。
 
この歌は、高齢になってから詠んだ歌です。
若いころの切ない恋を思い返して、歌にしたのでしょうか。

 
思ひわび さても命は あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり

 
【覚え方】思い憂き

つれないあの人をずっと思ってすっかりやつれてしまったのに、命はまだこうしてある。悲しみに耐えきれずにこぼれてゆくのは命ではなく、涙なのだなあ。

「思いわび」というのは、つれない相手に思い悩む気持ちを表す言葉で、当時の恋の歌によく使われました。
「さても」は、「そうであってもやはり」という意味で、「さありても」が縮まった表現です。
「涙なりけり」の「なり」は断定の助動詞で、「けり」は詠嘆を表す終助詞です。「涙なのだなあ」という意味を表します。
 
『千載和歌集』に18首選ばれたのを喜び、藤原俊成の枕元に立って泣いてお礼したおかげ(?)で、2首追加で載せてもらえたそうですよ。
余程、リアルな夢だったのでは・・・?Σ( ̄ロ ̄lll)

 

 
「百人一首」全首の詳細はこちらから(´▽`)♪↓

 

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