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「鏡開き」はお正月の間「床の間」などに飾っていた鏡餅を1月11日に下げて、おしるこなどにしていただく行事です。
これで完全に歳神様が去りお正月が終わるのです。

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鏡餅をいただく日は、地方によって異なる場合があります。

大雑把にいうと、
関東は1月11日、
関西は1月20日、
京都は1月4日
です。

「松の内」の日にちといい、なんでこんなに違うのと思いますね。今どき関西でも20日まで待つ家は、どれほどあるのかなと思いますが。暖房をガンガンきかせていたら、お餅にカビが生えますよ。わざわざ工夫して保存するのも面倒だし、カビが生えてもそこだけ取っていただくとか、気持悪いでしょう。(歳神様には申し訳ないですが)ですから、我が家は鏡餅は用意しません。
もしも用意するなら、28日に用意して4日に下げてお雑煮かおしるこにしていただく京都風がいいです。

このような日にちに違いがあるのは、きっかけになる理由があったはずですね。
その歴史を見ていきましょう。

鏡開きの歴史

京都の場合

平安時代に、青銅の丸鏡に似せた丸い餅を神様に供え、天皇が豊作を祈ったのが、鏡餅のはじまりといわれています。
そして、公家や貴族が1月4日以降、その鏡餅を下げて食べるようになったのが、お雑煮の起源といわれます。
京都では、伝統を守る家庭は今も1月4日に鏡開きを行います

鏡開きは「20日」にきまり

鎌倉時代になり、この風習は武士に広まり、やがて庶民にも普及します。固くなった鏡餅を食べるには、切るか割るしかないですね。
しかし、武士たちは、正月早々、刃物を使うのを嫌ったそうです。今も鏡餅を包丁で切ってはいけないと伝わるのはこのためです。また、「切る」「割る」という言葉を使うのも避けたかったので、「開く」という言葉を当てたそうです。縁起かつぎですね。
この「鏡開き」の風習は、鎌倉時代には1月20日に行われていました

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関東の場合

江戸時代に入ると、将軍・徳川家光の月命日がこの20日に重なります。

それで、翌1652年、「鏡開き」は1月11日に繰り上げられたそうです。(このとき「松の内」も7日に繰り上げられました。)

関西には、この事がしっかり広まらなかったため、「鏡開き」は、そのまま1月20日のままになったと言われています。
それで、「鏡開き」の日にちは、地方によって異なるようになりました。

まとめ

つまり、平安時代に原形ができて4日にしていたものが、鎌倉時代に「鏡開き」として20日に行われるようになり、江戸時代初期に幕府の事情で11日に変えられたということです。
 

京や上方には、その頃は「幕府の威光」が届きにくかったのでしょうね。
しかし、今はテレビ(報道)の影響で、関西を含め全国的に11日に「鏡開き」をする家が多いと思います。

 
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