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明治から昭和の文豪で、広く知られている人は、生前から作家として名を成していた人が多いです。
 
志賀直哉、太宰治、谷崎潤一郎などは、発刊当初からベストセラーになる小説を書いています。
 
今でいうAmazon売り上げ1位とかでしょうね。(´▽`*)
 
しかし、宮沢賢治の作品は、生前あまり高く評価されず、というか、公表されていなかった作品が多かっため、亡くなってから世に出て文豪と認められた人です。
 
今では、小中学校の教科書にもよく取り上げられているのに、意外ですね。
 
今回は、宮沢賢治の生涯と代表作を紹介します。

 

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宮沢賢治の生い立ち

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宮沢賢治は、東北の岩手県花巻町に生まれた童話作家・詩人です。
 
父は呉服店と質屋を営み、地元では裕福な家に育ちます。
 
子どもの頃から読書や鉱物採集が趣味で、中学時代には、散歩に行くときに金づちを持ち、珍しい石(鉱石)があると叩きながら歩いたそうです。
 
また、「不思議体験」を何度かしたことがあり、木や花の精霊を見たなどと、友人に語ったことがあったとか。「コックリさん」や睡眠術に熱中したこともあるようですよ。
 
盛岡高等農学校(現在の岩手大学農学部)に入学し、その頃から詩を書き始めます。
 
花巻に住み、農学校の教師として働きながら、農民の生活を詩にしましたが、教師と文学活動という2つの活動で多忙な日々を過ごし、過労で重い肺病にかかります。

 

コレクター

 
宮沢賢治は「収集癖」があって、鉱石や、当時、最先端のクラシック音楽のレコードのコレクターだったことでも知られています。クラシックレコードの収集はマニアの域に達し、ポリドールの社長から感謝状が届くほど、売り上げに貢献しました。
 
クラシックが彼の詩や童話のインスピレーションの元になっているのは、間違いありません。
 
『セロ弾きのゴーシュ』は、オーケストラのチェロ(セロ)弾きですし、『銀河鉄道の夜』の登場人物カムパネルラは、リストのピアノ曲「ラ・カンパネラ」からイメージを喚起したものだそうです。
 
また、浮世絵(春画)コレクターとしても有名です。
 
農学校に勤務していたときには、積めば30~40センチにもなる大量の春画を持っていて、同僚と批評し合って楽しむこともあったそうです。( ̄▽ ̄;)

 

法華経信仰と菜食主義

 
宮沢賢治は熱心な仏教信者で、国柱会という日蓮宗系の新宗教に入信していました。彼の作品に、仏教思想の影響も色濃く反映されているのはこのためです。
 
実家は、代々浄土宗を信仰する家系だったのですが、20歳の頃、日蓮宗に傾倒します。
 
一方、キリスト教の教えにも関心があったようです。
 
法華経信仰に入った後、盛高研究生になった1918年頃から5年ほどの間、宮沢賢治は菜食生活をしていました。
しかし、そんなに厳格なものではなく、たまに魚などを食べていたようです。
 
そして、農学校の教師になった頃には、他の人と同じようにいろんな物を食べるようになっています。

 

エスペラント語

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世界共通言語として人工的に作られた「エスペラント語」に強い関心を持っていました。
 
自分の詩のいくつかを、エスペラント語に翻訳しています。
 
宮沢賢治の詩などで「イーハトーブ」という言葉を見たことがありませんか。
 
これは、実際の地名をエスペラント語ふうに読みかえたものです。
それを自分の作品にも登場させています。
 
ちなみに、「イーハトーブ」は、「岩手」のことです。
他に、「盛岡」は「モリーオ」、「塩釜」は「シオーモ」、「東京」は「トキーオ」になります。
 
実際の地名を、エスペラント語に翻訳して作品に登場させているのです。
 
他には、ドイツ語も熱心に学習していたようです。

 

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宮沢賢治と中原中也

 
中原中也は、1907年生まれの「詩人」です。(30歳で死去。)
 
「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」
この詩を、どこかで聞いたことがないでしょうか。
 
中原中也は、破天荒な生き方をした詩人で知られ、太宰治と口論したり、小林秀雄に奥さんを取られて、それでも最後まで2人と付き合っていた(小林秀雄は中也の死を看取った)というエピソードがあったりという、興味深い人物です。
 
酒乱で、喧嘩っ早く、ランボーに心酔してフランス語をよく学び、ランボーの詩の訳本を出した人です。
 
ここで中原中也の話をしたのは、中也が宮沢賢治の詩の不思議な宇宙観と口語による響きに、たいへん魅かれていたからです。
 
宮沢賢治の生前に発売された書籍は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』だけでした。
 
『春と修羅』は、自費出版でほとんど売れなかったのですが、中原中也は、それを見つけては自分で買って、よい作品だからと友人たちに配っていたそうです。
 
2人は、ほぼ同時代人で、どちらも上京し草野心平など共通の知人もいますが、微妙に時期がずれていて、直接的な面識はなかったようです。

 

年表

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● 1896年(0歳)
岩手県花巻町で生まれる。
 
● 1909年(13歳)
旧制盛岡中学校に入学する。
短歌を詠むなどの文学活動を始める。
 
● 1915年(19歳)
盛岡高等農林学校に入学する。
17年に雑誌『アザレア』を作る。
 
● 1918年(22歳)
盛岡高等農林学校を卒業し、現在の岩手大学の研究生となる。
 
● 1921年(25歳)
1926年まで稗貫農学校(後の花巻農学校)の教諭になる。
 
● 1922年(26歳)
仲の良かった妹「トシ」が病死する。
 
● 1924年(28歳)
詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を出版する。
 
● 1926年(30歳)
教師を退職する。農業指導と文学活動に従事する。
私塾「羅須地人協会」を設立。
 
● 1928年(32歳)
過労で倒れ、両側肺湿潤と診断される。
実家に戻って療養する。
 
● 1931年(35歳)
肺結核が悪化し入院する。
詩・「雨ニモマケズ」を記す。
 
● 1933年(37歳)
急性肺炎により死去。

 

主な作品

 
『雨ニモマケズ』
『注文の多い料理店』
『セロ弾きのゴーシュ』
『銀河鉄道の夜』
『やまなし』
『よだかの星』
『どんぐりと山猫』
『オツベルと象』

 

おわりに

 
作品タイトルを見ると、動物や星、銀河など自然がテーマのものが多いですね。
 
宮沢賢治は童話作家といわれますが、大人でも難解な物語が多いと思います。
 
少なくとも、私はあまりよくわかりません。(一部の作品ですが)
深読みしたくなるたちなので、幾つかの解釈ができる話にもやっとするのです。
 
娘は小学生のとき、よく読んでいましたが、分からないと感じたことはなかったと言っています。子供は、素直にとらえるのでしょうね。
 
でも、どの解釈が正しいのかよく分からないところに、なぜか魅かれます。
 
そして、この人の「オノマトペ」は、独特の感性が表れていておもしろいです。(´・ω・)

 

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