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紫式部は、平安時代に書かれた長編宮廷絵巻『源氏物語』の作者として、よく知られている人物です。
 
この物語は、500人近くの人物が登場し、800首近い和歌を含む超大作です。
また、物語としての構成、心理描写の巧みさも素晴らしく、「古典中の古典」ともよばれています。
 
今回は、紫式部の特徴と一生を、簡単に紹介します。

 

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紫式部とは

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紫式部は、受領の娘に生まれます。父は、漢学者として有名でしたが、地位はそれほど高くありません。現代でいう、地方公務員ですね。
 
彼女が中央官庁(宮中)勤務に抜擢されるのは、夫の死後、『源氏物語』を書いてからです。
10年以上かけて『源氏物語』を書き終えた後、彼女は宮仕えをやめ宮廷を去ります。
 
しかし、彼女の娘は、そのまま宮中に残り、玉の輿に乗って、高い地位を得ました。それが、大弐三位です。

 

幼少期から才媛だった

紫式部は、平安中期の作家・歌人です。
正確な生没年は不詳ですが、藤原道長が権勢をふるっていた平安中期に活躍したことが知られています。
 
たいへん有名な人なのに、本名が不明です。(^_^;)
(娘・賢子は分かっているのに。)
 
父の藤原為時は、非常に高名な漢学者でした。
 
学者筋の家に生まれ育ったこともあり、紫式部は小さいころから学問に親しめる環境にあったようです。
 
平安貴族の女性は、仮名文字で書く「和歌」の素養は必要でしたが、「漢文」を学ぶ必要はありませんでした。しかし、紫式部は、兄が習っている『史記』を聞いているうちに(兄より早く)暗記できたという逸話を持つ秀才です。
 
しかし、父に女性らしくと厳しく育てられたこともあり、漢文の知識があることをあまり周囲には言わなかったともいわれます。

 

『源氏物語』と紫式部

 
夫の死後に書き始めた『源氏物語』が、彼女の転機になります。
 
『源氏物語』は発表当初から人気を博し、それが当時、宮中で大きな権力を握っていた藤原道長の目に留まったのです。
 
そして、道長の娘・彰子(一条天皇の中宮)の宮中サロンに女房として抜擢されれました。
 
彼女は、始めは藤原家の娘だったので、「藤式部(とうしきぶ)」とよばれていました。
 
後に、『源氏物語』の登場人物である「紫の上」にちなんで、「紫式部」とよばれるようになったのです。
 
『源氏物語』は、宮中でも道長、一条天皇をはじめ、多くの人々に読まれ、早く続きを書くように催促されていたようですよ。
 
彼女が残した『紫式部日記』から、藤原道長と付き合っていたのでは?とか、藤原公任と恋仲だったのでは?など、推測されています。
 
真偽は不明ですが、平安時代の宮中の事ですから、いろいろあったとしてもおかしくないですね。(*^^*)

 

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娘・賢子(大弐三位)

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紫式部の娘・賢子は、18歳頃から、母と同じ中宮・彰子のサロンに勤めます。
 
大弐三位とよばれ、「百人一首」にも歌が載っている歌人です。
 
親子で連番で選ばれていますよ♪(^^)↓

 


 

「百人一首」には、親子で歌が載っているのが、何組あると思いますか。
 
 
 
・・・・・18組です。
 
結構多いと感じませんか。
 
そのうちの1組がこの親子です。(*^^)v
 
大弐三位は恋多き女性として有名ですが、いわゆる玉の輿に乗って、皇子の乳母という高い地位につきます。

 

年表

 
● 973年?(970? 978?)
藤原為時(ためとき)の次女として生まれる。
生没年不詳。(諸説あり)
 
● 996年
父・藤原為時が越前守になり、共に福井へ下る。
 
● 998年
福井県から京都に戻り、藤原宣孝と結婚する。
 
● 999年
娘の賢子(大弐三位)を出産する。
 
● 1001年
夫・藤原宣孝が病死。
このころから、『源氏物語』を書き始める。
⇒紫式部の文才が、藤原道長の目に留まる。
 
● 1005年
中宮・彰子に仕える。
宮廷生活の体験をもとに『源氏物語』を書き続ける。
 
● 1010年
『紫式部日記』を記す。
『源氏物語』がこのころ完成する。
 
● 1011年
父・為時が越後守に任命される。
 
● 1013年(?)
紫式部、宮仕えをやめる。
 
● 1014年頃
死去。

 

まとめ

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紫式部は、1000年も前の平安時代の女性なので、詳しい史料が残っていません。
 
『源氏物語』を研究している学者は、それこそ平安後期からたくさんいますが、多くの謎が残っています。
 
『源氏物語』の中の『宇治十帖』とよばれる最後の十帖は、登場人物が変わることもあり、文章も少し違うように思えるので、別の人が書いたのではないかとも考えられています。
 
また、この十帖だけ、紫式部が出家後に書いたもの、また娘・賢子(大弐三位)が書いたものではないかという説もあります。ミステリーですね。(´▽`*)
 
いずれにせよ、稀有な長編小説であることは間違いないですね。(*’▽’)

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